2016/03/08

春来る

急に4月の陽気になって、花の季節を迎えました。
明日からはまた平年並みになるそうですが…

スナップエンドウも花盛り、莢が日に日に大きくなっています。
豊後梅は満開近し、よい香りが風に乗ってきます。

すみれも咲き出して
レンテンローズはようやく咲き出しました。

年初めに蒔いたはつか大根、大きいのや小さいのや、70日かけて育っていました。

2016/02/26

夏ミカンピール

藤沢の義姉が、庭でなった夏ミカンを送ってきてくれました。
毎年この時期、母のところへ送ってくれていたものを、今年は我が家に。


 宅配便で届きました。立派!! 大きいものは550gもありました。
40個なったけれど、ご近所の方は酸っぱいからあまりもらってくださらないのよとのこと、でも亡くなった兄は「そのままむしゃむしゃ食べていた」し、母も喜んでいました。

1か月ほど寝かせると甘味が出ると聞きましたが、待てずに早速いただきました。
実はそのままさっぱりした酸味を味わい、サラダに入れたり、はちみつをかけたりして美味しく食べ、私は皮が大事です。

2個の皮でピールを作ります。
4つ割りにした皮の、表皮を薄く削り取ってから、1cm幅くらいに切りそろえて水につけておきます。ここまでが夕食後の仕事。何度か水を替えて、一晩置きます。
翌朝、鍋にたっぷりの水を入れ茹でます。また、2,3度すっかり水を替えて柔らかくなるまで茹で、ざるに上げておきます。
同量の砂糖(2個でしたら200g-250gでしょうか)を少量の水で煮溶かしたシロップに皮を入れて、ふたをして煮ます。煮詰まって、鍋のふちに白い砂糖の泡ができて来る頃からは目をはなしてはいけない。焦げたり飴状になる前に手早く、一切れずつグラニュー糖をまぶしてバットに並べます。

外出予定のない日、朝の片づけが終わってする、早春の台所仕事です。
2個分くらいでしたら9時前には終わります。(伊予柑で同じように作るのも、香がよくおいしい。)



小分けしてラベルを貼って、冷蔵庫に常備しています。そのままコーヒーといただくのもよいのですが、パンに練り込んだり、ケーキに入れたりして1年間、重宝します。)

昨日友の会の方面会に持っていったら、喜ばれました。作り方を教えてくださいという方もあったので、我流のアバウトなメモを記しました。

2016/02/17

引っ越し記念日


名古屋から箕面へすっかり引っ越してから、5年経ちました。中京教会の方たちから餞別にいただいた、2本のオリーブも、庭になじんで枝をはり大きくなりました。秋の実りをそろそろ期待しています。

***

今日は二人で久々の遠出、ドライブ。丹波の篠山まで。出かける時は澄み切った青空だったのに、能勢のあたりからは黒雲が出て、みぞれや霰が降りだす天気になりました。
篠山城跡に車を止めて、町中を歩きました。城下町の古い家並の落ち着いた、町でした。

篠山城跡 登り口

大書院と本丸跡

馬出の土塁
お城の周りを一巡り
 大正時代の市役所の建物を使った物産店(黒豆コーヒーがおいしかった)や、お正月の黒豆で有名な小田垣商店と、種苗店などものぞいて、小さな旅でした。寒かった!
   
小田垣商店、昨年末も妹からここの黒豆をもらいました

向かいの小田垣種苗店。もともとは種苗店だったそうです。
暖かくなったら播くために、かぶらとふだんそう(スイスチャード)の種を買いました。

堀には水鳥も見られましたが、霰が吹きつけ、何せ寒かった。
   
          

2016/02/09

「やってみよう」と「どうせ駄目だ」

大阪教会の2016年の標語聖句は、次の聖句です。

  「愛する者たちよ、わたしたちは互に
   愛し合おうではないか。
   愛は、神から出たものなのである。」
                          ヨハネの第1の手紙 4:7a

このみ言葉から、最近私が思い出すのは、羽仁もと子著作集にある、「やってみよう」と「どうせ駄目だ」という文です。

「やってみよう」と「どうせ駄目だ」
「私たちの精神生活の二つの動力の一つは『やってみよう」と自ら励ます力で、一つは『駄目だ』と抑える力です。
私たちの中にある『やってみよう』という動力は、実に私たちの創造(つくら)れたままの本体です。ひたすらにそれに従って生きる時に、あふるる恩寵の中に不思議な心の歓びを経験します。
しかし駄目だ駄目だとささやくものも、また確かに私どもの内部に住んでいるのをどうしましょう。そうしてそれが私たちの創造られた自然でないとすれば、何でしょうか。鉛のように重いのは人の世ではないでしょうか。今私たちの中に巣くっている『どうせ駄目だ』という動力は、人の肺臓に住んで健全な呼吸をする力を蝕んでいく黴菌と同じことです。罪と称するのが適当だと思います。一番の罪の本源は、心を開いて神の愛とその力を呼吸することをしないことからくるのです。私たちの心の内部が本当に神の光に照らされる時に、罪が育ってゆくことができません。先に育っている罪も死ななければなりません。それ故にどうかして私たちは、絶えず私たちの霊の生に入用なものが我らの内に入り来ることの出来るようにしなくてはなりません。」 
         羽仁もと子著作集「思想しつつ生活しつつ祈りつつ 中」から抜粋、引用
気持ちの落ち込むときも、み言葉にたのみ、奮い立ちたいと願います。

2016/02/05

春は名のみの…


立春を迎えました。
寒い風に耐えて枝に残っていた庭のバラの花を切りました。
薄黄色のバフビューティと、ほのかに薄い桜色のスノーグース。
部屋の中で満開となりますように。

2016/01/15

「幸いの根」 福岡さんのこと

昨日1月14日(木)は豊中友の会一月例会でした。
読書箇所は「思想しつつ生活しつつ祈りつつ(下) 心境小景」の中の「幸いの根」と「新年の夢」でした。
当番の豊中東方面の方々の感想はそれぞれに素晴らしく、新しい年への思いを奮起させるものでした。最後に総リーダーの湯浅さんが、箕面方面の福岡隆子さんのことに触れられました。

福岡さんは、昨年12月の方面会の始まる前に、会場の学習センター調理室から救急車で市民病院に入院されました。
朝、お家に同じ西小路最寄の大村さんが、車でお迎えに行って、お元気がない様子でしたが、「出席したい」と言われるのをご家族と確認して一緒に来られました。お顔の色に黄疸のような症状が見えて、皆が心配しながら、暖かい日ざしの当たるところに座って方面会の昼食を用意する皆の様子を見て居ていただきました。10時前にふっ-と倒れそうになられるのに一人が気づき支えて、すぐそばの床に横になっていただきました。意識がなくなったのはほんの一瞬でした。ベテランヘルパーの大村さんが、声をかけ、お茶を少しずつペットボトルのキャップに入れてお口に入れました。福岡さんに安心した様子が見えました。事務室へ救急車の手配をたのみ、ご家族への連絡、すべて手際よくなされて、救急車には大村さんが同乗し、ご家族とは市民病院で落ち合って、11時ごろには診察を受け入院が決まったと連絡がありました。思いがけないことでしたが、方面会の皆が集まっているところで起こったことはよかったと思いました。(私はその場にいておろおろするばかりでしたが…)

それから、ほぼ1月経ちましたが、13日午後、西小路もよりの私たちがお見舞いに行きましたら、ご家族からガラシア病院のホスピスに転院が決まったと告げられました。
この一月ほどの間、福岡さんのベッドサイドには、方面から、豊中友の会から誰かが毎日、お見舞いに行きました。もちろん申し合わせてではありません。だれもが、これまで福岡さんの友の会でしてくださったことに感謝し、大切に思う心から、そうせずにおれなかったからです。

湯浅さんは、長い友の会生活の中での福岡さんとの出会いを語り、著作集に導かれて歩まれ「幸いの根」を培ってこられた福岡さんに対しての敬愛を語られました。何人かの方は涙をぬぐいながら聞いておられました。

ガラシア病院にもきっとお見舞いに訪れる方が絶えないことでしょう。最晩年をそのように友と過ごした一生懸命の日々を懐かしみ、若い人たちへのゆずりの実の中で過ごせるのは幸いだと思います。

福岡さんのお誕生日は2月8日、90歳になられます。ご家族の皆さんと平安のうちにお誕生日をお祝いなされるようにと祈っています。神さまのおまもりを心から祈ります。

***
1月29日追記

昨日豊中友の会からの連絡が回りました。

皆様に悲しいお知らせです。
先月より入院療養中だった
箕面方面の 福岡 隆子さん(89歳在会65年)が
1月28日10時15分に胆のう癌のため逝去されました。

福岡隆子さんは、長年にわたり豊中友の会、大阪友の会で
大きなお力を出していただきました。
1964年大阪友の会で総リーダーをされました。
心よりの感謝と御霊の平安をお祈りいたします。

 告別式はガラシア病院でチャプレンの司祭様の司式で執り行われました。家族葬ということでしたが、豊中友の会の総リーダーと箕面方面リーダー、西小路最寄の全員が参列を許されました。
私も同じもよりの一員として出席させていただきました。
 友の会、親しい友から供えられたお花に囲まれて、安らかな、また凛とした表情の福岡さんに、皆で讃美歌を歌ってお別れしました。
「かみともにいまして ゆく道をまもり、・・・またあう日まで またあう日まで 神のまもり 汝が身を離れざれ・・・」

2016/01/06

七草に思う


明日は七草、朝食は七草粥です。今年のうちの七草は、二十日大根、カブ、水菜。キクナ、ハコベ、ナズナ、ルッコラで七種。ハコベとナズナ以外は、キッチンガーデンの産物です。

今年も【青菜は買わない】。菜ものを中心にキッチンガーデンで、1日一人60gの青菜を自足していきたいと思っています。
もう一つは、なるべく基本の調味料を用いて、市販の複合調味料は使わないこと。

ささやかな台所の新年言志です。

2016/01/02

A.D.2016年 元旦

 新しい年を迎えて、今日は2日。年末に息子たちの家族が来てくれてにぎやかに過ごしました。
大晦日の夜には、アメリカに赴任中の三男家族ともスカイプでつながって、皆が顔をあわせることもできました。ミシガンでの二度目の冬、今年は雪が少ないそうです。
向こうの生活を家族で積極的に受け入れ、楽しんでいる様子ですが、孫の真ちゃんが「おせち、食べたい」と言ってくれました。やはり日本の食べ物が恋しいのだなと思います。
その「おせち」、重詰めの仕上げは嫁二人と孫のこのかちゃん咲良ちゃんに頼みました。
蒲鉾の飾り切りで、ウサギが何匹も飛び込んでくれて、明るく仕上がりました。
2016年新年の食卓
12月に友の会箕面方面で行った「おせち料理講習会」、レシピの編集印刷を受け持ったので、今年のおせちはその実践編です。
伊達巻、スモークサーモンと野菜の重ね漬け(右手の大皿)、たたき牛蒡、紅白なます(鰆のきずしと合わせて左の大皿に)、黒豆、のしどり、アーモンドとレーズン入り田作り(高野豆腐の印籠煮は来年に持ち越しです)、そのほか我が家の定番の昆布巻きや、中華風鶏のロール焼き、キンカン甘煮、矢羽根レンコン、お煮しめなど、、、
伊達巻がしっとりおいしく焼きあがり、好評でした。(毎年のように作ってみようと思いながら、初めての挑戦でした。流し缶はクッキーの空き缶、巻き簾は海苔巻き用を使いました。)

元旦は8人で祝い、そのあと、長男家族3人は九州へ妻の実家の皆さんと新年を祝うために出発しました。私たちは午前11時からの大阪教会元旦礼拝に出席して、新しい年が始まりました。

毎日インターネットで参照しているのは Losungen 日ごとの糧ですが、今年の聖句と今月の聖句は以下の通りです。

2016年の聖句
イザヤ66:13 母がその子を慰めるようにわたしはあなたたちを慰める。
 
1月の聖句
Ⅱテモテ1:7 神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。

明日は2016年の初めの聖日。大阪教会では新年標語聖餐礼拝です。
今年もみ言葉に導かれて、歩みたいと思います。

2015/11/20

皇帝ダリア

皇帝ダリアが今年も見事に咲きました。
久しぶりの晴れ、洗濯物を干しに2階のベランダにあがったら、ダリアの花の周りを蝶やあぶが飛び回っていました。


下から見上げると青空に映えて、大輪が本当に見事です。

2015/11/14

シュテンゲル(家事家計講習会の託児のために)

今日は朝から雨になりました。
午前中は台所仕事。食パンを2セット(胡麻入りとレーズン入り、併せて4本)、それに家事家計講習会の託児のシュテンゲルを試作しました。

今まで強力粉を用いていたのですが、今回は託児レシピ通りに薄力粉で作りました。


捏ね上げた生地を1本あたり7gに分割して48本になります、180℃で5分、170℃で25分焼きました。
今までより長い時間かけ、じっくり焼きました。仕上がりはサクッととてもよかったです。

豊中友の会箕面方面の家事家計講習会は1回目が12日に箕面サンプラザを会場に行われました。お客様は30人、小学校や幼稚園で配布されたチラシを見て、初めて参加された若い方も多く、熱気ある講習会でした。
講習会の冒頭、方面リーダーが友の会の紹介をしました
2回目が17日(火)、箕面市民会館(グリーンホール)大会議室で行われます。

託児はすでに8名が予約されているとのこと、私は、月曜日に本番用シュテンゲルを焼きます。
お母さんたちが、家計のことを熱心に学んでいる間、託児係のおばさんたちと一緒に待っていてくれる子どもたちのために…

次回も、よい講習会になりますように。

***

シュテンゲルの作り方(豊中友の会子ども係 2015 作成)
材料               作り方      
薄力粉(ふるっておく) 200g ①牛乳を人肌に温め、その中から大さじ2杯を小さい器に取り、
バター 30g   イーストと砂糖を振り入れ、泡がたつまでおく。  
砂糖 一つまみ ②ボールに、薄力粉、イースト、牛乳、(硬さを見るので少し残す)
牛乳 カップ2/3   塩、バターを入れてこねる。  
塩 小匙1/2   なめらかになったら(耳たぶより少し固め)1つにまとめ、
ドライイースト 小匙1   濡れ布巾をかけて暖かい所で10分ほどねかせます。  
③のし板に生地をとり、打ち粉を使いながら棒状にまとめ、
  48個に切り分ける。焼き上がり12~13センチ  
  コロコロと転がしながら伸ばす。 端が細くならないように成形する。
④オーブンで焼く(180℃ 5分焼き、さらに 170℃ 25分)

2015/11/09

11月例会感想「舞台と楽屋」

11月5日にあった豊中友の会例会で、箕面方面は感想当番でした。
私にも機会を与えられて、感想を述べさせていただきました。

羽仁もと子著作集第21巻「真理のかがやき」 20-24p 
 「舞台と楽屋」昭和6年10月に発表された文章を読んでの感想です。

***
 この箇所は名古屋友の会でも家事家計講習会の前によく読んだところです。友の会が成立して2年目、家庭生活に対する基本的な考え方と実際を、世に示す大きな企画、「生活合理化展覧会」を自由学園の卒業生や友の会会員と力をあわせつくりあげ、全国各地を巡回するという大きな試みの前に書かれた文章です。一つの大きな仕事を前にしての高揚した気持ちがあふれています。一つの楽屋が舞台となり、またそれが楽屋となって舞台となる。めあてに向かって発展していく意気込みがあります。そして私たち友の会会員も、この言葉に励まされて、それぞれのところで家事家計講習会を精一杯に励み続けて来たと思います。
 今年の2月に出た「生活合理化と家庭の近代」という本があります。小関孝子という方が書かれていますが、全国友の会の歴史と現状を分析した論文で副題に「全国友の会によるカイゼンと婦人之友」あります。友の会は90年の歴史を持つ婦人団体ですが、今までこのように丁寧に学術的に分析されたものはなかったと思います。羽仁もと子の思想でまとまっているとはいえ、各地友の会が自主的に運営されている面が大きく、とらえどころがなかったからかもしれません。
 友の会の歴史が大きく4つに分けられています。第1期は1930年から1954年の羽仁もと子が先頭に立って生活合理化に取り組んだ戦中、戦後の時代。知識階級の妻たちによる啓蒙活動の時期ととらえられています。第2期は高度経済成長期1955年から1974年、専業主婦による暮らしのカイゼン、カイゼンというとトヨタが有名ですが、お金をかけないで知恵をしぼり、改善をはかること。企業社会でも合理化、カイゼンによって成長を達成した時期です。家事家計講習会が全国一斉事業となったのは1956年からですが、各地の友の会が地域に根ざして講習会を毎年開催して、周りの方々に家計簿記帳を軸とした筋の通った生活をと呼びかけ、入会者が増えました。1981年には会員数は3万人に達しました。第3期は1975年から1994年、家族単位の消費行動より個人消費の時代に変化していく頃です。生活合理化の技術が伝承され、海外バングラディシュとの交流もこの時期に行われました。第4期は1995年以降、阪神淡路大震災以降の危機管理時代、生活合理化が見直され、震災支援やスーパー主婦といった形でマスメディアにも取り上げられることが多くなりました。
振り返ると、羽仁もと子の考えをもとにして、地道に繰り広げられてきた全国的な活動が、日本の近代化になくてならない役割を果たしたと思います。
 私は1978年に入会しました。専業主婦が与えられた時間や力を惜しみなく出して、友の会の活動に関われた時期でした。友の会で生活技術を相互に工夫し身につけると同時に、組織での働き方を学び、友と共に成長してきたと思います。しかし、今の若い方はほとんどの方が職業経験、組織の中で働く技能をすでに持っておられます。そして豊中友の会の中で見ていましても、職場や学校で学んだことを惜しみなく出して、友の会の活動に関わっておられるように思います。そういう意味で友の会は変わってきたと思います。
 21頁5行目に「今の生活舞台にせっぱつまった必要事」とあります。私たちが毎年開催する家事家計講習会が、今の若い人たちの生活、暮らしにとって、せっぱつまった必要事にどこまで訴えることができるか。家計の筋道を立て守る適量の生活はいつの時代も変わることはありませんが、もっと大切なことも伝えることができたらと思います。生活合理化の最終の目的は、22頁にありますが、できた余裕をもってそれぞれに積極的に良いこと、大切なことを行う、別な言い方で羽仁もと子流に言えば「神の国建設」、最も終わりに展開される永遠の舞台に立つための祈りが湧き出る生活ではないでしょうか。

 今、朝の連続ドラマの主人公は、広岡浅子という大阪の女性実業家をモデルにしています。女性が人として尊重されたら社会は変わると訴え続けた方です。大正元年発行の婦人之友にもその文章が掲載されています。この方は1911年明治44年のクリスマスに、現在私が属しています日本基督教団大阪教会で洗礼を受けられました。「人を恐れず天を仰いで」という著書が最近復刊されています。人生の最後に、本当によるべきところに帰られたことを皆さまにも知っていただきたいと思い、一言付け加えさせていただきました。

2015/10/28

まちかど文庫企画案

今年の年頭に見た夢「まち角の図書館」を実現に向けて、具体的に考えてみました。

***
「江戸堀まちかど文庫」(仮称)について覚書

対象   週日、特に昼休み、夕刻に多い教会の前を通る成人男女、近隣の方々。

設置場所 教会西側、西門付近。内か外か。通りがかりに目につくようにおきたい。
     書棚の本を手に取って、西庭のベンチで読むことができるようにしたい。

設備   屋外に設置できるスチールの棚のある構造物、前面は引違のガラス戸で雨が入り込まないように特注したい。照明はLED、太陽電池でまかなえるとよい。

運営   貸し出し手続きは無し、期限も設けず。自由に借り出し、読み終えたら読んだ人が自分でもどすを原則とする。(当番はつかない)

蔵書   書籍は教会員から提供してもらう。(リサイクル) ただし、教会の文庫に相応しい内容のもの。
     聖書関連、人生論的なもの、キリスト教作家の小説。紀行文、エッセイなど
     本のサイズは、書棚に限定される。

管理   受け入れ所蔵印を新たに作り、押印する。読んだらもどすルールを1冊ごとに記せるとよい。定期的に本を点検し、補充、入れ替えなどを行う、開架と別に所蔵スペースが必要だろう。係に本を愛する数名を求む。

2015/10/16

今年も家事家計講習会

今年も友の会の家事家計講習会が全国各地で開かれます。

私の属する豊中友の会箕面方面のチラシができました。
NHK「あさイチ」でおなじみととありますが、昨年暮れに箕面方面のOさんとKさんが、スーパー主婦の仲間入りをして、おせち料理の紹介に出演しましたから、箕面方面にとってウソ偽りはありません。
今年の家計係のNさんが一番強調したいのは、ただ家計簿記帳をすすめるだけでなく、「予算のある家計簿」、これこそ羽仁もと子案家計簿の良さ、是非予算を立てる大切さを知っていただきたいことです。
仕事を持っている方にも是非参加してほしいと、土曜日にも開催します。箕面方面全員で準備の真っ最中です。(今年は私は裏方、大事な会計を預かっています)
同じ内容で3回開きます。ご都合のいい日にどうぞ。
 1歳以上のお子さんは託児の申し込みをしてください。(1歳までのお子さんはご一緒にお聞きください)
  軽食にシュテンゲルが用意されます。

 12日の会場は阪急箕面駅下車すぐ箕面サンプラザ地下1階です。託児は隣の部屋で行います。
 17日の会場は、市役所西側別館グリーンホールの2階大会議室で、ここは車で来る方は市役所の駐車場が使えます。(無料) 託児は2階和室。
 21日は市役所西側別館グリーンホール2階、和室で行います。子ども連れの方は同室での託児になります。こじんまりと膝突き合わせての真剣な講習会になると予想しています。市役所の駐車場が使えます。

また、豊中友の会のHPには豊中、池田、箕面近辺の会場の案内があります。
どうぞご覧ください。
http://toyonakatomonokai.blogspot.jp/2015/09/2015.html

2015/10/10

大阪教会バザー イケフェス2015 オープンチャーチ

日本基督教団大阪教会の第52回バザーは10月25日(日)午後開催されます。

今年は朝の連続ドラマ「あさが来た」の主人公が、大阪教会で1911年に洗礼を受けた広岡浅子がモデルなので、大阪教会の歴史が、いつもより注目を浴びています。企画展も公開されます。
私は食堂のうどん当番で頑張ります。手作りのお菓子も出品するつもり。

箕面ではちょうど25日は「学習センターまつり」が行われていて、友の会は方たちに来てもらえないのが残念ですが、それぞれのところで楽しみつつ働きたいですね。

バザーに来れない方に、是非お勧めしたいのは10月31日(土)午後の大阪教会聖堂の公開です。
大阪市の「生きた建築ミュージアムフェスティバル」に参加して、日本国内で教会建築では一番古くなりましたが、ヴォーリズ建築の聖堂が午後1時から4時まで公開されます。

今回は午後2時と3時から20分程度の”礼拝体験”が企画されています。牧師のメッセージとパイプオルガンの演奏があり、教会の礼拝の雰囲気を少し味わっていただける時になるでしょう。
私は受付当番に当たっています。たくさんの方が来ていただけるとうれしいです。

2015/09/29

FEBCインターネット放送 大阪教会

9月13日の日本基督教団大阪教会の礼拝がFEBC のインターネット放送で公開されました。
9月28日から10月22日まで、以下のリンクから聞くことができます。

私はこの日、受付当番で1階玄関受付にいましたので、聖堂ではなく、モニター画面で礼拝を守っていました。もう一度牧師の説教を聞き返したいと思います。

http://chfebcjp.blogspot.jp/

***
説教「神の国はすでにきた」(イザヤ49:22〜23、マタイ12:22〜32)
【礼拝式順】
前 奏
礼拝招詞 
頌 栄  539
主の祈り
交 読  詩篇100篇
信仰告白
讃美歌  79
聖書朗読 イザヤ書49章22〜23節
     マタイによる福音書12章22〜32節
代 祷
聖歌隊による奉献歌  讃美歌336
説 教 「神の国はすでにきた」
祈 祷
讃美歌  332
頌 栄  541
祝 祷
聖歌隊による応唱
後 奏
***



2015/09/23

大阪教会と広岡浅子 あわせて羽仁もと子のこと

9月28日(月)からNHKの朝の連続テレビ小説【あさが来た」が始まる。「小説 土佐堀川」を原作にした、明治・大阪の実業家、広岡浅子の物語。

現在、大阪、肥後橋の南東角に堂々たる社屋を構える大同生命の創始者、あるいは女性の教育に積極的に関わり、日本女子大学の創設発起者として名を残しておられる人で、NHKの番組案内では、そのあたりまでの生涯が描かれるらしい。

しかし、広岡浅子は、現在の日本基督教団大阪教会員であった。

大阪教会にも、TV関係者の取材があったということだが、ドラマの中でも、浅子の精神生活がきちんと紹介されることを期待するのは、私だけではないと思う。

大阪教会で1911年宮川経輝牧師によって洗礼を授けられた時の様子が、自伝にある。

 人を恐れず天を仰いで 復刊『一週一信』 新教出版社 2015
 「超訳」広岡浅子 自伝」 KADOKAWA 2015(吉良芳恵 編著)

 降誕祭を期して受洗す 1911年
   大阪教会においては、例年クリスマスの洗礼は日曜学校の青年男女に限ることとしていて、その日も受洗者十名のうち九名は十三四歳から十八九歳までの青年男女でした。私はことさらにこの子供らの中に入れていただくようにお願いしたのでした。
九時三十分に会堂に参り、十時に洗礼式がはじまり、式が終わると宮川牧師は九人の洗礼のために祈り、次いで私のためにさらに祈祷してくださいました。
「聖なる父よ、この中の一人の老婦は我が国維新の際、種々なる困難を一身に荷い、家政のため、また国家事業のため、苦心奮闘を続け、晩年に至り、同性の向上発展を促さんため、非常に尽力いたしました。しかれどもこれ物質上のことにして、霊の生命の添いがたきを悟り、齢六十、多くの人は碌々として退隠なすべき時にあたり、老婦は奮然立って神の道を学び、残る生涯を神に捧ぐる決心をなし、すなわち今日ここにバプテスマを受け給いしことを、まことにありがたく感謝し奉る。どうぞ主よ、この老婦の前途過ちなく、世のため、人のため尽くし得る力を与え給わんことを、尊きイエスキリストの御名によりてひたすらに希い奉る。アーメン」
と清らかなる祈祷の声は堂に響き、神の御前にあるを深く知り、言い知れぬ感に打たれました。右終わってさらに説教「祈祷の意義」と題してお話しされましたが、かつてなくその教えは心に沁み渡りました。(超訳 p31)

大阪教会90年史で広岡浅子の信仰の歩みは、このブログで振り返ったことがある。
「広岡浅子 大阪教会90年史からの覚書」

今年10月25日(日)午後に開催される「第52回教会バザー」は、大阪教会のオープンハウスの機会だが、当日、会議室を会場に「広岡浅子展」がある。教会にある原資料をもとに。信仰者としての広岡浅子を紹介する試みで、今担当の方が準備中です。
是非、大勢の方が足を運んで、”女だてらに”実業の世界に生きた女傑というイメージとは違う側面をも知っていただきたいと願っている。

***

 また、「超訳 広岡浅子自伝」には、一般誌に寄稿した広岡浅子の文章が紹介されていてその婦人教育にかける思いを知り、現在の私たちも叱咤激励されるところ、婦人之友創刊、自由学園を創設、 全国友の会の主導者、羽仁もと子をあわせて覚えるのは、また私だけではないだろう。

 洗礼を受けた翌年の「婦人之友」10月号に掲載された文章がある。    「超訳42p」 
「大正の婦人に望む」
          婦人之友1912年(大正元年)10月号から抜書き   
  1 明治の御代と大正の御代 
明治から大正に替わり、新しい時代になったことをのべ
  2 遊戯を離れて真実に働け
    …私はまず第一に、今の婦人は、もっと本気に、めいめいの頭を養うことを、娘でも、学生でも、職業を持っている人でも、妻になった婦人にも、母になられた方にも、また、我々のように年をとった婦人でも、始終怠らずつとめていただきたいと思います。絶えず自らを教育するということは、努力しなければ、どんなに暇な豊かな境遇にあってもできるものでございます。・・・貧しい人の救済に働こうとするならば、自ら貧しい人々の生活に入り込んで、その生活の有様を見てきて初めて、彼らを救う方針が立つのです。・・・
  3 人格から湧き出る力
・・・それぞれの家庭における大切な任務をただ習慣的に遊び半分のことのように見なすことなく、本当に自分で養った人格の中心から燃えいずる愛と信念と、そうして今少し進んだ能力を持って、本気で家を治め、真剣に子どもの教育をしてくださるならば、社会はたちまちにして、すべての方面において、その偉大な功績のおかげをこうむることができるのであります。婦人の最も大いなる働きは、ここにあることは言うまでもありません。・・・常に謙遜して、真実の心をもって自分を省み、修養を怠らない人であったならば、その人のする仕事は小さくても大きく役立もし、またその周囲に何らかの感化を及ぼすでしょう。・・・今日以後、わが国婦人のその使命を果たす道はまず速やかにその人格を修養することによって得られるものと、私は信じて止まないのでございます。
羽仁もと子著作集でなじんだ言葉となんと似ていることか。社会変革の中心は女性にあると 、啓発にそして実際の事業に取り組んだ先人の思いを大切に継承していきたい。

2015/09/16

安威の墓地から茨木市内 (母の納骨式)

9月14日(月)安威の墓地への母の納骨、弟夫婦と妹夫婦、義姉、と私たち夫婦7人が集まる。
晴天に恵まれ、日差しが暑い、しかしさわやかな空気の一日。
大念寺さんの読経に皆も唱和して30分ほどの式、あと骨壺からお骨を晒しの袋に入れ替えて墓石の下に納める。27年前に納めた父のお骨の上に。




墓地の小高い丘からは、継体天皇陵の前方後円墳の緑がくっきりと見える。はるか向こうに生駒山の方角、大阪平野の北側一帯を見渡すことができる。

茨木市内のお店で会食、ここは私が小学生時代育った家の近く、弟妹も久しぶりに訪れた町の変化を懐かしむ。


もとの家の近くだった梅林寺が、さらに存在感を増していた。
片桐且元が城主であった茨木城址にある茨木小学校。
正門は城の櫓門を復元した立派なものになっていた。




 茨木城の門を移築した、神社の門。 茨木神社は子どもの頃のあそび場だった。特に旧茨木川沿いの土手の並木は皆で木登りをよくしたところ。妹は楓の木から落ちたときのことをよく覚えていた、「あの時は姉ちゃんがあそこの手水場で洗ってくれた、犬の糞の上だったものね」。私が5年生だったとすると妹は1年生ごろの話。



母が望んでいたように、きょうだい仲良く、よい時間を共有するうちに、葬りの一連の行事の節目を無事に迎えることができた。いろいろ段取りをしてくれた弟夫婦には心からの感謝を伝えたい。

2015/09/10

ちゑのあけぼの

「ちゑのあけぼの」=「THE DAWN OF WISDOM」

 明治19(1886)11月に創刊 明治21(1888)4月に67号をもって終刊となった、日本最初の少年少女向け雑誌の名前だという。
「『ちゑのあけぼの』の探索」という本を大阪教会の歴史資料室の書架から借りて読んだ、以下簡単な読書ノート

「『ちゑのあけぼの』の探索」 副題:鹿鳴館時代の大阪・京都・神戸
著者は、桝井孝 2011年10月 かもがわ出版発行 21cm*15cm 270頁。
 桝井孝氏は、著者略歴によると元大阪府教育長、在職中に大阪府立国際児童文学館設立に関与された。


ちゑ から連想する聖書のことばは、例えば 「主を畏れることは知恵のもとである」箴言9:10 など多くある。
あけぼの「曙」→ 覚醒 からは、「あなたがたの眠りからさむるべき時が、すでにきている。… 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。」ロマ書13:11-12 が思い出される。

この「ちゑのあけぼの」というのは、明治時代、大阪のキリスト者が中心になって発刊した、子ども向けの雑誌。銅版画を用い印刷した4ページから8ページの週刊誌。
大阪教会牧師であった宮川経輝も編集に関わっていたという。

152-153頁 第四章 (雑誌「ちゑのあけぼの」の内容)

目次を記すと

第1章  雑誌「ちゑのあけぼの」とその時代
 1 雑誌「ちゑのあけぼの」との出会い
 2 「ちゑのあけぼの」の探索と概要
 3 「日本最初の少年少女雑誌」
 4 明治中期という時代 
第2章 「ちゑのあけぼの」が発刊されるまで
 1 キリスト教の伝道と新興都市 神戸・横浜
 2 キリスト教伝道のための新聞雑誌
 3 日刊新聞「太平新報」のこと
第3章 「ちゑのあけぼの」の創刊と人々の苦闘
 1 「ちゑのあけぼの」の創刊
 2 「ちゑのあけぼの」の「発行の主意」
 3 「ちゑのあけぼの」発刊の際の祝辞
 4 「ちゑのあけぼの」のその後の歩み
 5 当時の新聞・雑誌の検閲
 6 「ちゑのあけぼの」の編集者と読者
 7 関西三都のこと
第4章 雑誌「ちゑのあけぼの」の内容
 1 「ちゑのあけぼの」の文体
 2 用字と仮名づかい・句読点
 3 欧化主義の時代と英語の初歩講座
 4 「ちゑのあけぼの」の論説・論評
 5 本誌の読み物
 6 「軍歌体」と呼ばれた新体詩
 7 「治まる御代」の大阪
 8 「ちゑのあけぼの」の科学読み物
 9 儒教主義
 10 「寄書」と呼ばれた投書について
 11「ちゑのあけぼの」終刊の辞
第5章 「ちゑのあけぼの」が残したもの
資料編 年表

著者が古本屋の店先で48号から52後の合本を見つけてからの14年かけての探索が、詳細につづられている。
この雑誌の発行所は大阪市西区江戸堀南通・・・ 大阪教会のすぐ近くの住所である。
川口居留地にいた宣教師の影響を受けた人たちが多くかかわって、日刊新聞を発行したが検閲にひっかかって廃刊に追い込まれ、そのあと子ども向けの雑誌に転じ、宗教色は前面に出さない内容で、しかし、西欧の偉人伝記や教訓話などが多く掲載されたこと・・・
当時の大阪・京都・神戸の知識人の活動の雰囲気が伝わり、最後まで興味深く読み通した。
巻末の資料・全巻内容は、本当に貴重な労作だと思う。(柿本真代さんの仕事)

ちょうど最近合わせて読んだ広岡浅子の「人を恐れず天を仰いで-一週一信」が、「基督教世界」という雑誌に掲載された、明治末から大正にかけての文章の復刊であった。

 「人を恐れず天を仰いで 復刊「一週一信』」 新教出版社 2015年7月発行 19cm*12.5cm 181頁

日本におけるキリスト教の伝道のための、様々な苦心、工夫の一端を知ることができた。
ともに好著。



2015/08/13

夜来の雨があがって

連日続いた猛暑、ようやく昨夜は驟雨があって、朝、庭の草木が生き生きしていました。
今日は朝の水やり助かった!

ゴーヤのカーテン
ツルムラサキ、どんどん伸びます。葉を採ってお浸しにしていただいていますが
脇芽がすぐに大きくなって・・・
この暑さの中、バラも咲き出しました。

朝のうちはみずみずしい花です。

2015/08/05

暑中 箕面滝道 散歩

梅雨明け10日の猛暑、いつまで続くやら・・・ 昨日は、暑気払いに箕面滝道まで主人と散歩。さすが家から滝道入口まで炎天下の道を歩くのを躊躇して一の橋までは自転車で、そのあと谷筋を大滝まで歩く。往復4㎞。7000歩ほど。

杉木立の底の方に流れる清流、気持ちよさそうだが、もうあの流れまで下る元気はない。

天狗鼻のあたり

滝の水量が多く、ここまで来た甲斐があった。

滝つぼのそば、水しぶきを浴びて