2015/11/09

11月例会感想「舞台と楽屋」

11月5日にあった豊中友の会例会で、箕面方面は感想当番でした。
私にも機会を与えられて、感想を述べさせていただきました。

羽仁もと子著作集第21巻「真理のかがやき」 20-24p 
 「舞台と楽屋」昭和6年10月に発表された文章を読んでの感想です。

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 この箇所は名古屋友の会でも家事家計講習会の前によく読んだところです。友の会が成立して2年目、家庭生活に対する基本的な考え方と実際を、世に示す大きな企画、「生活合理化展覧会」を自由学園の卒業生や友の会会員と力をあわせつくりあげ、全国各地を巡回するという大きな試みの前に書かれた文章です。一つの大きな仕事を前にしての高揚した気持ちがあふれています。一つの楽屋が舞台となり、またそれが楽屋となって舞台となる。めあてに向かって発展していく意気込みがあります。そして私たち友の会会員も、この言葉に励まされて、それぞれのところで家事家計講習会を精一杯に励み続けて来たと思います。
 今年の2月に出た「生活合理化と家庭の近代」という本があります。小関孝子という方が書かれていますが、全国友の会の歴史と現状を分析した論文で副題に「全国友の会によるカイゼンと婦人之友」あります。友の会は90年の歴史を持つ婦人団体ですが、今までこのように丁寧に学術的に分析されたものはなかったと思います。羽仁もと子の思想でまとまっているとはいえ、各地友の会が自主的に運営されている面が大きく、とらえどころがなかったからかもしれません。
 友の会の歴史が大きく4つに分けられています。第1期は1930年から1954年の羽仁もと子が先頭に立って生活合理化に取り組んだ戦中、戦後の時代。知識階級の妻たちによる啓蒙活動の時期ととらえられています。第2期は高度経済成長期1955年から1974年、専業主婦による暮らしのカイゼン、カイゼンというとトヨタが有名ですが、お金をかけないで知恵をしぼり、改善をはかること。企業社会でも合理化、カイゼンによって成長を達成した時期です。家事家計講習会が全国一斉事業となったのは1956年からですが、各地の友の会が地域に根ざして講習会を毎年開催して、周りの方々に家計簿記帳を軸とした筋の通った生活をと呼びかけ、入会者が増えました。1981年には会員数は3万人に達しました。第3期は1975年から1994年、家族単位の消費行動より個人消費の時代に変化していく頃です。生活合理化の技術が伝承され、海外バングラディシュとの交流もこの時期に行われました。第4期は1995年以降、阪神淡路大震災以降の危機管理時代、生活合理化が見直され、震災支援やスーパー主婦といった形でマスメディアにも取り上げられることが多くなりました。
振り返ると、羽仁もと子の考えをもとにして、地道に繰り広げられてきた全国的な活動が、日本の近代化になくてならない役割を果たしたと思います。
 私は1978年に入会しました。専業主婦が与えられた時間や力を惜しみなく出して、友の会の活動に関われた時期でした。友の会で生活技術を相互に工夫し身につけると同時に、組織での働き方を学び、友と共に成長してきたと思います。しかし、今の若い方はほとんどの方が職業経験、組織の中で働く技能をすでに持っておられます。そして豊中友の会の中で見ていましても、職場や学校で学んだことを惜しみなく出して、友の会の活動に関わっておられるように思います。そういう意味で友の会は変わってきたと思います。
 215行目に「今の生活舞台にせっぱつまった必要事」とあります。私たちが毎年開催する家事家計講習会が、今の若い人たちの生活、暮らしにとって、せっぱつまった必要事にどこまで訴えることができるか。家計の筋道を立て守る適量の生活はいつの時代も変わることはありませんが、もっと大切なことも伝えることができたらと思います。生活合理化の最終の目的は、22頁にありますが、できた余裕をもってそれぞれに積極的に良いこと、大切なことを行う、別な言い方で羽仁もと子流に言えば「神の国建設」、最も終わりに展開される永遠の舞台に立つための祈りが湧き出る生活ではないでしょうか。

 今、朝の連続ドラマの主人公は、広岡浅子という大阪の女性実業家をモデルにしています。女性が人として尊重されたら社会は変わると訴え続けた方です。大正元年発行の婦人之友にもその文章が掲載されています。この方は1911年明治44年のクリスマスに、現在私が属しています日本基督教団大阪教会で洗礼を受けられました。「人を恐れず天を仰いで」という著書が最近復刊されています。人生の最後に、本当によるべきところに帰られたことを皆さまにも知っていただきたいと思い、一言付け加えさせていただきました。