2015/09/23

大阪教会と広岡浅子 あわせて羽仁もと子のこと

9月28日(月)からNHKの朝の連続テレビ小説【あさが来た」が始まる。「小説 土佐堀川」を原作にした、明治・大阪の実業家、広岡浅子の物語。

現在、大阪、肥後橋の南東角に堂々たる社屋を構える大同生命の創始者、あるいは女性の教育に積極的に関わり、日本女子大学の創設発起者として名を残しておられる人で、NHKの番組案内では、そのあたりまでの生涯が描かれるらしい。

しかし、広岡浅子は、現在の日本基督教団大阪教会員であった。

大阪教会にも、TV関係者の取材があったということだが、ドラマの中でも、浅子の精神生活がきちんと紹介されることを期待するのは、私だけではないと思う。

大阪教会で1911年宮川経輝牧師によって洗礼を授けられた時の様子が、自伝にある。

 人を恐れず天を仰いで 復刊『一週一信』 新教出版社 2015
 「超訳」広岡浅子 自伝」 KADOKAWA 2015(吉良芳恵 編著)

 降誕祭を期して受洗す 1911年
   大阪教会においては、例年クリスマスの洗礼は日曜学校の青年男女に限ることとしていて、その日も受洗者十名のうち九名は十三四歳から十八九歳までの青年男女でした。私はことさらにこの子供らの中に入れていただくようにお願いしたのでした。
九時三十分に会堂に参り、十時に洗礼式がはじまり、式が終わると宮川牧師は九人の洗礼のために祈り、次いで私のためにさらに祈祷してくださいました。
「聖なる父よ、この中の一人の老婦は我が国維新の際、種々なる困難を一身に荷い、家政のため、また国家事業のため、苦心奮闘を続け、晩年に至り、同性の向上発展を促さんため、非常に尽力いたしました。しかれどもこれ物質上のことにして、霊の生命の添いがたきを悟り、齢六十、多くの人は碌々として退隠なすべき時にあたり、老婦は奮然立って神の道を学び、残る生涯を神に捧ぐる決心をなし、すなわち今日ここにバプテスマを受け給いしことを、まことにありがたく感謝し奉る。どうぞ主よ、この老婦の前途過ちなく、世のため、人のため尽くし得る力を与え給わんことを、尊きイエスキリストの御名によりてひたすらに希い奉る。アーメン」
と清らかなる祈祷の声は堂に響き、神の御前にあるを深く知り、言い知れぬ感に打たれました。右終わってさらに説教「祈祷の意義」と題してお話しされましたが、かつてなくその教えは心に沁み渡りました。(超訳 p31)

大阪教会90年史で広岡浅子の信仰の歩みは、このブログで振り返ったことがある。
広岡浅子 大阪教会90年史からの覚書

今年10月25日(日)午後に開催される「第52回教会バザー」は、大阪教会のオープンハウスの機会だが、当日、会議室を会場に「広岡浅子展」がある。教会にある原資料をもとに。信仰者としての広岡浅子を紹介する試みで、今担当の方が準備中です。
是非、大勢の方が足を運んで、”女だてらに”実業の世界に生きた女傑というイメージとは違う側面をも知っていただきたいと願っている。

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 また、「超訳 広岡浅子自伝」には、一般誌に寄稿した広岡浅子の文章が紹介されていてその婦人教育にかける思いを知り、現在の私たちも叱咤激励されるところ、婦人之友創刊、自由学園を創設、 全国友の会の主導者、羽仁もと子をあわせて覚えるのは、また私だけではないだろう。

 洗礼を受けた翌年の「婦人之友」10月号に掲載された文章がある。    「超訳42p」 
「大正の婦人に望む」
          婦人之友1912年(大正元年)10月号から抜書き   
  1 明治の御代と大正の御代 
明治から大正に替わり、新しい時代になったことをのべ
  2 遊戯を離れて真実に働け
    …私はまず第一に、今の婦人は、もっと本気に、めいめいの頭を養うことを、娘でも、学生でも、職業を持っている人でも、妻になった婦人にも、母になられた方にも、また、我々のように年をとった婦人でも、始終怠らずつとめていただきたいと思います。絶えず自らを教育するということは、努力しなければ、どんなに暇な豊かな境遇にあってもできるものでございます。・・・貧しい人の救済に働こうとするならば、自ら貧しい人々の生活に入り込んで、その生活の有様を見てきて初めて、彼らを救う方針が立つのです。・・・
  3 人格から湧き出る力
・・・それぞれの家庭における大切な任務をただ習慣的に遊び半分のことのように見なすことなく、本当に自分で養った人格の中心から燃えいずる愛と信念と、そうして今少し進んだ能力を持って、本気で家を治め、真剣に子どもの教育をしてくださるならば、社会はたちまちにして、すべての方面において、その偉大な功績のおかげをこうむることができるのであります。婦人の最も大いなる働きは、ここにあることは言うまでもありません。・・・常に謙遜して、真実の心をもって自分を省み、修養を怠らない人であったならば、その人のする仕事は小さくても大きく役立もし、またその周囲に何らかの感化を及ぼすでしょう。・・・今日以後、わが国婦人のその使命を果たす道はまず速やかにその人格を修養することによって得られるものと、私は信じて止まないのでございます。
羽仁もと子著作集でなじんだ言葉となんと似ていることか。社会変革の中心は女性にあると 、啓発にそして実際の事業に取り組んだ先人の思いを大切に継承していきたい。