「愛する者たちよ、わたしたちは互に
愛し合おうではないか。
愛は、神から出たものなのである。」
ヨハネの第1の手紙 4:7a
このみ言葉から、最近私が思い出すのは、羽仁もと子著作集にある、「やってみよう」と「どうせ駄目だ」という文です。
「やってみよう」と「どうせ駄目だ」
「私たちの精神生活の二つの動力の一つは『やってみよう」と自ら励ます力で、一つは『駄目だ』と抑える力です。
私たちの中にある『やってみよう』という動力は、実に私たちの創造(つくら)れたままの本体です。ひたすらにそれに従って生きる時に、あふるる恩寵の中に不思議な心の歓びを経験します。
しかし駄目だ駄目だとささやくものも、また確かに私どもの内部に住んでいるのをどうしましょう。そうしてそれが私たちの創造られた自然でないとすれば、何でしょうか。鉛のように重いのは人の世ではないでしょうか。今私たちの中に巣くっている『どうせ駄目だ』という動力は、人の肺臓に住んで健全な呼吸をする力を蝕んでいく黴菌と同じことです。罪と称するのが適当だと思います。一番の罪の本源は、心を開いて神の愛とその力を呼吸することをしないことからくるのです。私たちの心の内部が本当に神の光に照らされる時に、罪が育ってゆくことができません。先に育っている罪も死ななければなりません。それ故にどうかして私たちは、絶えず私たちの霊の生に入用なものが我らの内に入り来ることの出来るようにしなくてはなりません。」
羽仁もと子著作集「思想しつつ生活しつつ祈りつつ 中」から抜粋、引用気持ちの落ち込むときも、み言葉にたのみ、奮い立ちたいと願います。