2016/01/15

「幸いの根」 福岡さんのこと

昨日1月14日(木)は豊中友の会一月例会でした。
読書箇所は「思想しつつ生活しつつ祈りつつ(下) 心境小景」の中の「幸いの根」と「新年の夢」でした。
当番の豊中東方面の方々の感想はそれぞれに素晴らしく、新しい年への思いを奮起させるものでした。最後に総リーダーの湯浅さんが、箕面方面の福岡隆子さんのことに触れられました。

福岡さんは、昨年12月の方面会の始まる前に、会場の学習センター調理室から救急車で市民病院に入院されました。
朝、お家に同じ西小路最寄の大村さんが、車でお迎えに行って、お元気がない様子でしたが、「出席したい」と言われるのをご家族と確認して一緒に来られました。お顔の色に黄疸のような症状が見えて、皆が心配しながら、暖かい日ざしの当たるところに座って方面会の昼食を用意する皆の様子を見て居ていただきました。10時前にふっ-と倒れそうになられるのに一人が気づき支えて、すぐそばの床に横になっていただきました。意識がなくなったのはほんの一瞬でした。ベテランヘルパーの大村さんが、声をかけ、お茶を少しずつペットボトルのキャップに入れてお口に入れました。福岡さんに安心した様子が見えました。事務室へ救急車の手配をたのみ、ご家族への連絡、すべて手際よくなされて、救急車には大村さんが同乗し、ご家族とは市民病院で落ち合って、11時ごろには診察を受け入院が決まったと連絡がありました。思いがけないことでしたが、方面会の皆が集まっているところで起こったことはよかったと思いました。(私はその場にいておろおろするばかりでしたが…)

それから、ほぼ1月経ちましたが、13日午後、西小路もよりの私たちがお見舞いに行きましたら、ご家族からガラシア病院のホスピスに転院が決まったと告げられました。
この一月ほどの間、福岡さんのベッドサイドには、方面から、豊中友の会から誰かが毎日、お見舞いに行きました。もちろん申し合わせてではありません。だれもが、これまで福岡さんの友の会でしてくださったことに感謝し、大切に思う心から、そうせずにおれなかったからです。

湯浅さんは、長い友の会生活の中での福岡さんとの出会いを語り、著作集に導かれて歩まれ「幸いの根」を培ってこられた福岡さんに対しての敬愛を語られました。何人かの方は涙をぬぐいながら聞いておられました。

ガラシア病院にもきっとお見舞いに訪れる方が絶えないことでしょう。最晩年をそのように友と過ごした一生懸命の日々を懐かしみ、若い人たちへのゆずりの実の中で過ごせるのは幸いだと思います。

福岡さんのお誕生日は2月8日、90歳になられます。ご家族の皆さんと平安のうちにお誕生日をお祝いなされるようにと祈っています。神さまのおまもりを心から祈ります。

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1月29日追記

昨日豊中友の会からの連絡が回りました。

皆様に悲しいお知らせです。
先月より入院療養中だった
箕面方面の 福岡 隆子さん(89歳在会65年)が
1月28日10時15分に胆のう癌のため逝去されました。

福岡隆子さんは、長年にわたり豊中友の会、大阪友の会で
大きなお力を出していただきました。
1964年大阪友の会で総リーダーをされました。
心よりの感謝と御霊の平安をお祈りいたします。

 告別式はガラシア病院でチャプレンの司祭様の司式で執り行われました。家族葬ということでしたが、豊中友の会の総リーダーと箕面方面リーダー、西小路最寄の全員が参列を許されました。
私も同じもよりの一員として出席させていただきました。
 友の会、親しい友から供えられたお花に囲まれて、安らかな、また凛とした表情の福岡さんに、皆で讃美歌を歌ってお別れしました。
「かみともにいまして ゆく道をまもり、・・・またあう日まで またあう日まで 神のまもり 汝が身を離れざれ・・・」