明日は箕面方面の「方面会」。年度のはじめの「読書」は羽仁もと子著作集「みどりごの心」の巻頭の言葉、「生活の朝、昼、夜」である。私の最寄は当番最寄なので、感想を準備する。
「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る。この生活こそ実に実に当たり前の生活である。」そしてこのような生活を通して、人はほんとうに人として鍛えあげられるのであると、あります。「よく生きる」を、シンプルに表現するとこのようにいえると思います。友の会の中で何度も読んだ文章ですが、高齢期を迎えた今も心に響きます。名古屋で私はHPの係りをしていました。新しい情報発信の道具として活用しようと、2000年10月に開設にこぎつけました。6年間、維持更新に関わり続けていました。それを若い方に引き継いだあと、次に最寄りの報告、連絡をスムースに出来ないかとブログを使い始めました(名古屋友の会/星ヶ丘方面/一社最寄り/issyamoyori)。しかし、これは生活団に通っていた若い方がパソコンを開く時間の余裕もなくてうまくいかず、そのままのURLで自分の「備忘録」に変えて用いていました。豊中友の会に転入して一年、また自分の生活を通して友の会のことなど発信できないかと、最近ブログを更新し、公開することにしました。羽仁先生は著作集を、「世界中のあらゆる友に話しかけようとする、その時々の手紙です」と書いておられますが、私もまたささやかな書き込みを通して、思いを伝えることが出来たらと思います。そしてこれは何より、私の一番近くにいる主人に、友の会の仲間と外で活動している様子を見てもらうよい方法だと思っています。豊中友の会の公式ホームページとはちがって、技術も思いも不足しているのを痛感しながら、また私たちの思いを伝えられるものとなればと願っています。
朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る。この生活こそ実に実に当たり前の生活である。この生活を与えられるために、ほんとうに長い間鍛えられてきたのである。
朝起きて飢えかわくごとく聖書を読むものに、先ず私たちはなりましょう。めいめいに与えられているみどりごの心をくらまして、手前勝手な都合ばかり考えていては出来ないことです。
昼は疲れるまで動く人になりましょう。不完全な人間同士の錯綜する人事に堪えかねて、不平や憤懣を自己弁護にして、高い光明を見失うようでは、決して本気に動けないでしょう。
私たちに祈って眠る夜があるのは、悔いの中にも恥の中にも、ただ導きの手を思い得る確かな望みがあるからです。・・・この著、みどりごの心も、それゆえに、日々の生活の中に希いを見出し、希いの中に多くの祈りを与えられて暮すものの、ありのままな思いの跡です。親しきもの、近き周囲との生活から交渉から、人として同じ生命を持っている、世界中のあらゆる友に話しかけようとする。その時々の手紙です。羽仁もと子著作集・みどりごの心(1932年) 巻頭の言葉から抜書き