8月28日には合同もより会、10月例会読書決め。課題は「空の鳥を見よ」を読んでの感想をまとめること。まず、著作集をひらいてみた。明治40年に書かれた文章。マタイ伝6章「まず神の国と神の義を求めよ」が基調となっているところ。
空の鳥を見よ
「人は働いてそうして生活すべきものです。生活のために心を労することは私どもの一つの義務であります。また私どもは、現在の生活よりも、だんだんに便利なだんだん高い生活をしたいと思うのもよいことで、人類にこの希望があるために、往時の野蛮な生活を脱して、今日の文明を作り出すことができたわけです。
しかしながら、私ども人間たるものの考うべきこと、なすべきことは、決して生活のことばかりではありません。そのほかにまた種々の大切な義務が沢山あります。私どもはもしもあまりに、どうして生活しようか、どうしてこれよりもよい生活をしようかということを思い煩いすぎるならば、そのほかに沢山ある大切なことを思う余裕がなくなります。神は私どもに働いて生活せよとお命じになりましたけれど、決してすべてのことを忘れて、ただ生活のことのみ思えとはお命じになりませんでした。一方では物価が高くなり、他方においては物質的の文明がますます進んで、私どもの眼を眩惑する生活の便利が次第に多くなるので、生活に囚われ過ぎるようになるのも無理ならぬことでありますけれど、あまりに度を越えて生活のために思い煩うのは無益だと思います。
≪何を食らひ、何を飮まんと生命のことを思煩ひ、何を著んと體のことを思煩ふな。生命は糧にまさり、體は衣に勝るならずや。 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず。然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遙に優るる者ならずや。≫ 文語訳マタイ伝6章25節
ということがあります。せちがらい世に立って、どうして食べよう、どうして着ようと常に思い煩っている憐れむべきわれわれのために、この上もない慰め、またこの上もない教訓でございます。私どもはすべての生物をその中に包容して養い育てる力を持っている恵みの天地の中に住んでいることを忘れてはなりません。私どもの住んでいる所は大いなる恵みの家でございます。めいめいに生活のことを思い煩いすぎて、血眼になって競争するために、人と人の関係はせちがらいかもしれません。しかしながらわが住む天地はすべて恵みと愛とに充たされています。・・・・
・・・・人にして、もしもあまりにわが生活の安危を気づかいすぎ、またみだりに他のきらびやかな生活を羨望して、そういう風になることばかりを希い、知らずしらず人たるものの本分に向かって多くの苦心と努力することを忘れたら、あたかも飛ぶことや歌うことを忘れた鳥と同じことです。実に無益に生活する一つの機械のようなもので、人たる価値のないものになります。いたずらに高い生活を追い求める人は、またかの鷲の巣をつくろうとする雀のようなものでしょう。
私どもはまず夫とし妻とし、親とし子とし、兄弟とし、友人として、人たる本分を尽くしたいと心掛け、わが心まず人たる道を求めて、美しく愛深く、現在において各自の有する仕事に勤勉であるならば、この恵みの家は、おのずから私たちの才能に応じた有様において、我々を養ってくれるものであると信じ、余裕にみちた心を持って、それぞれの職分を尽くしたいと思います。」
羽仁もと子著作集「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」(中) 1907(明治40年)
オリーブ、初なりの実 |