2008/06/30
2008/06/21
種の起源
webで見つけた簡単な解説
長谷川 ダーウィンの時代には、実験科学はなかったですからね。サイエンティストという言葉もまだ定着してい なかった時代で、おそらくダーウィンは最後の自然哲学の巨人と言っていいですよね。哲学的な考察と実験科学みたいなものが分岐していない時代に生まれて、 だからこそ全体をいろいろと見渡すこともできた。もちろん環境や時代背景がよかったとも言えます。家がお金持ちだったし、ナポレオン戦争の後、学者たちが 世界中に探検旅行に行きやすい状況でもあった。ただ、やはり進化生物学の基本的な理論を思いついたのは、彼固有の才能によるものだったと思います。ある学 問的なメカニズムの定義をするために、観察事実を列挙して、それを基に演繹的に実証していった。その閃き、発想は優れて学問的だった。
2008/06/09
2008/06/04
抜書き 終末と希望
われわれが終末を待つということも非常に焦って終末を先取りするとか、終末に対する不安を何らかの人工的な方法で消そうとするのではなくて、終末を静かな気持ちで待つという、その待つことにおいて、われわれの神さまに対する、或いは人に対する愛がそこで純化され、浄化されてゆくのではないでしょうか。そういうことを終末は私たちに教えているのではないでしょうか。
信仰について考えて見ますと、われわれは、この時には必ずこうなるとかああなるとかいうことが分かっているとしたら、そんなに信仰する必要もありません。ところが、じっさいにはいつくるのか分からない。しかし、週末のときにどんな恐ろしいことが起こるか知らないけれど、もし私たちがイエス・キリストを信じているならば、キリストは必ず私たちを助けてくださる。いつ来るかわからない終末を待つという、そのことの中でわたしたちの信仰は浄化されてゆくのであります。
希望についても同じことがいえます。パウロもいっておられますように、約束されているものを何月何日に受け取ることが確実であるならば、希望は必要ありません。そうではなくて、見えないものを希望する。そういう仕方で私たちの希望は浄められてゆくのではないでしょうか。
ですから、現実の世界の状態の中で、或いは終末的現象というものが至る所においてもっとひどくなっていって、そしていろいろな意味での苦しみや争いがもっと強くなるかもしれませんが、しかし私たちはその中で終末をあわてて先取りしない。そして待つということ。勿論その待つというのは、ただ拱手傍観して何もしないことではなくて、基本的態度として先取りしないこと。そして与えられた仕事を静かに忠実に果たしてゆくこと。そういう在り方の中で、信仰と希望と愛は深められてゆく。
その中で一つのヴィジオが造られてゆく。
アウグスティヌスの晩年、『神の国』が書かれたとき・・・。
『神の国』の中に見られるアウグスティヌスの思想はどういうものであるかといいますと、彼は決してペンテコステ的な仕方で熱狂していません。しかしまた、その状況から無関心になって、自分ひとりの世界に閉じこもっているのでもありません。むしろ彼は、そういう終末的状況の中で、いわば時代を超越しています。しかしそういう現実から遊離して超越するのではなく、その現実の中で神の国を待ちながら、その待望の中で超越しているのです。そしてその超越において、何か人類の歴史と運命といったようなものが、一つのヴィジオとなって見渡されてきます。『神の国』に述べられているのはそのようなヴィジオです。
われわれ自身の問題に帰りましょう。われわれが置かれている現代の状況は、いろいろな意味で不安にみちています。終末的現象が現れています。拱手傍観しているわけにはいきません。なしうるかぎりのことは、勿論しなければなりません。しかし、終末を先取りすることなしに、終末を「待つ」ということを、苦しい状況の中で、いわば訓練してゆかねばならないと思います。それをしながら、自分たちの視野を広めてゆく。その視野の中で、それまで見えなかった過去と現在と未来の世界、その中でわれわれと同じように苦しんでいる、多くの兄弟たちの姿が見えてくる。待っているのは、私一人ではなく、多くの兄弟たちがみな一緒に待っている。そういうことが分かってくる。
そのように考えますと、現代におけるさまざまな終末的状況は、われわれにそのような視野を開くために神さまが与えて下さった課題であると思われてきます。イエス・キリストがいわれた、「汝ら目ざめて祈れ」ということばが、身に沁みて感じられるのであります。
第五話 終末と希望 p173-180 山田晶「アウグスティヌス講話」
2008/06/03
2008/06/02
抜書き 世界に悪は何故存するか
2008/05/31
2008/04/05
石井桃子さん訃報 天声人語2008.4.5
2008/03/25
アウグスチヌス『告白』 抜書き
あなたは、わたしたちをあなたに向けて作られ、わたしたちの心は、あなたのうちに安らうまでは安んじないからである。
わたしの信仰は、あなたがわたしに与えられたものであり、あなたがあなたのみ子の受肉とあなたを宣べ伝える者の奉仕とによって、わたしに注ぎ込まれたものである。
第3巻第12章21.
「しかし、ご子息はしばらくそのままにしておきなさい。そしてひたすらかれのために主に祈りなさい。そうすれば、ご子息は書物を読んでいるうちに、自分の誤謬がどれほど大きいか、自分の不信がいかにはなはだしいかを知るであろう」
「おかえりなさい。あなたが生きているかぎり、このような涙の子はけっして滅びることはない」といった。この言葉を母はわたしと対話のさいに、しばしば思い起こして語ったように、天来の声としてきいた。
2008/02/15
カーニバル
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
冬の寒空を吹き飛ばすような華やかなカーニバルの様子が、今年も世界の各地から
伝えられるようになりました。カーニバルは、主にローマ・カトリックの国々で見ら
れるにぎやかなお祭りで、復活祭前の準備期間である四旬節の前に行われます。四旬
節は、日曜日をのぞく40日間、イエス・キリストの受難を思い起こし、派手なふるま
いや肉食を控える期間なので、その前に祝宴を開き肉を食べるようになったのが始ま
りだそうです。カーニバルという言葉はラテン語で肉を取り去るという意味の「カル
ネム・レウァーレ」が語源とされ、日本では「謝肉祭」と訳されています。
カーニバルといえば、ブラジルのリオデジャネイロのものが有名ですが、それぞれ
の国で土着の農耕祭などと結びついたため、さまざまなバリエーションがあります。
身分に関係なくお祭りを楽しめるようにと、仮面をつけたり仮装したりすることが多
いようです。たとえば、アメリカのニューオーリンズでは、マルディ・グラと呼ばれ
る最終日に毎年世界じゅうから多くの観光客が集まり、派手なフロート(山車)や仮
装した人びとによるパレードを楽しみます。
イタリアのベネチアでは、サンマルコ広場に大きなステージが設けられ、ショーが
繰り広げられるほか、仮面をつけた人びとが町じゅうを練り歩き、独特の雰囲気に包
まれます。一方、イタリア北部のイヴレーアという町では、馬車の上の兵士に向かっ
てオレンジを投げつける「オレンジ合戦」が3日間にわたって行われるそうです。
イギリスでは、パンケーキを盛大に食べる「パンケーキ・デイ」があります。これ
は四旬節の前に卵や牛乳を食べつくすために始まったようです。ドイツのケルンのカ
ーニバルでは、おとぎの馬車などが繰り出して、集まった人びとにお菓子が投げられ
ます。
いつもの町が夢のような世界に変わるカーニバルは、子どもたちにとっても楽しみ
なお祭りで、絵本や読み物にも多く登場します。時空を越え世界を旅する物語『スト
ラヴァガンザ――仮面の都』(メアリ・ホフマン作/乾侑美子訳/小学館)のエピロ
ーグは文字通り「カーニヴァル」と名づけられ、仮面をつけ、きらびやかな服を身に
つけた人びとが通りを踊り歩き、真夜中まで浮かれ騒ぐ様子が描かれています。
また、レオ・レオニの絵本『みどりのしっぽのねずみ――かめんにとりつかれたね
ずみのはなし』(谷川俊太郎訳/好学社)では、森で平和に暮らしていた野ねずみた
ちが、町からやってきたねずみにマルディ・グラの話を聞いて、自分たちも仮面をか
ぶってパレードや舞踏会を開く、このような場面があります。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
みんなは おどった、うたった、そしてたのしんだ、つきが そらの いちばん た
かい ところに のぼるまで。
それから みんな くらい しげみの なかに かくれ、かめんを つけた。きのみ
きや、いわの うしろから、おそろしい うなりごえや、さけびや、かなきりごえを
あげて、こわがらせあい、するどいはと きばで、おどしあった。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
この野ねずみたち、仮面をつけているうちに、いつしか本来の自分たちの姿を忘れ
てしまい、憎しみあい疑いあうようになってしまいます。ミステリアスでわくわくす
る仮面も、お祭りの間だけつけているからこそ、楽しいもののようですね。
★参考文献
『日本大百科全書』(小学館)
"Encyclopaedia Britannica"
『イタリア四季の旅』(田之倉稔著/東京書籍)
ベネチア市公式ウェブサイト(英語)
http://www.comune.venezia.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/EN/IDPagina/1
(笹山裕子/村上利佳)
2008/02/02
読売新聞編集手帳2008.2.2
2008/01/30
インターネットに見つけた兄の文章 蛍光
> 日本で蛍光という物理現象が最初に研究されたのはいつ頃のことでしょうか?なぜ、生物発光である「蛍」の漢字が使われるようになったのでしょうか?源氏蛍は560nmに発光スペクトルのピークがありますが、それに近いスペクトルを発する物理現象が研究対象となったためなのでしょうか?
> これについての回答が子供達への理科実験のために必要です。
> よろしく御教授ください。
蛍光体同学会主査の玉谷です。
蛍光体の語源について一寸調べてみました。
間違っているかもしれません。
1)「蛍光(fluorescence)という名は丁度opalescence(蛋白光)がopal(蛋白石)に由来するように、蛍光性のfluor- spar(蛍石)に因んでStokes(1852)が名づけた」(八木、吉田、大幡 「蛍光」p.6南江堂1958))とあります(引用文献もあります)。すなわち、fluorescenceは「蛍石」からきている光だから「蛍光」と訳したと思われます。
2)”fluor-spar (fluorite CaF2)”という鉱石(宝石)は暖めたり紫外線を当てると発光するものが多いですが、このような現象はヨーロッパでは17世紀には認められています(E.N.Harvey "History of Luminescence”p.120 American Philosophical Society 1957)
しかし、fluor-spar”は"fusible nature"を意味し、この鉱石が溶かして金属の精錬に用いられたことに由来し、直接には「蛍」に関係ありません。(私にもヨーロッパで蛍が良く知られていたか疑問に感じられます。)
3)それではfluor-sparに「蛍石」という和名をだれが名づけたのでしょうか。
インターネット検索で「蛍石」と「語源」を入力したら
http://wsn.31rsm.ne.jp/~e-club/boxflu.html
のページに、「「蛍石」という名前は中国で使われていたものをそのまま日本でも使っている」とあります。多分この鉱石はヨーロッパで知られていたよりも前から中国で知られていた可能性があると思っています。中国で鉱石に名前をつける人が、この鉱石の発光が蛍の光に似ていると感じたために「蛍石」となづけたか、あるいはこの石の発光が知られていて一般に「蛍石」と呼ばれていたか、どちらかだと思われます。
4)蛍光が生物の蛍に直接結びつかない一寸ロマンのない内容になってしまいました。現象として、蛍光は白熱発光に比べて熱発生が少なく、蛍の光に近いといえば言えます。
以上、簡単ですがお知らせします。