日本基督教団大阪教会のクリスマスイブ礼拝は12月24日(火)16:00からと18:00からの2回、もたれます。
今年も感染症拡大予防のために人数を制限し、いずれの回も定員150名です。
早めに大阪教会HPからお申し込みください。( https://www.osaka-church.net/ )
チラシのQRコードのグーグルフォームからも直接申し込めます。
ご一緒に主イエスのお誕生を喜ぶ時を与えられますように。
| 大阪教会聖堂2階ステンドグラス |
日本基督教団大阪教会のクリスマスイブ礼拝は12月24日(火)16:00からと18:00からの2回、もたれます。
今年も感染症拡大予防のために人数を制限し、いずれの回も定員150名です。
早めに大阪教会HPからお申し込みください。( https://www.osaka-church.net/ )
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ご一緒に主イエスのお誕生を喜ぶ時を与えられますように。
| 大阪教会聖堂2階ステンドグラス |
「主よ、私の魂はあなたを仰ぎ見る。
わが神よ、私はあなたに信頼する。」
旧約聖書(聖書協会共同訳)詩篇25:1,2
ともに歩んだ日々 (大阪教会教会だより原稿)
2024年7月4日夫、 が天に帰りました。心不全でした。長年過ごした名古屋から74歳で箕面の自宅を終の棲家として戻ってから13年余り、振り返るとその後半は病とともにありました。大手術を2回も受け入退院を繰り返し、最後の一年余りは自宅で、訪問介護の手厚い援助を受け平穏な日々を与えられました。今年5月。教会創立150周年記念礼拝には息子夫婦の助けを得て一緒に礼拝を守り、愛餐会の席上でもにこやかに交わりの中にいました。38歳で洗礼を受けて以来、教会を何より大切にしてきました。愛唱の讃美歌348番「ならびもなく とうとき御名の わが主よ」を葬儀で皆さんと共に讃美しました。
11月3日の秋季墓前礼拝で納骨式を迎えました。11月3日は私たちの57回目の結婚記念日、その時と同じく前日の雨がすっかり上がって秋晴れになりました。
主人の肉のからだは私の目の前からはすっかり消えてしまいました。私は主人が市川恭二先生から洗礼を受けた2年後に、「一緒のお墓に入りたいから」という理由で洗礼を授けていただきました。その時、大阪教会の墓地がどこにあるかも知りませんでした、この度主人の納骨にあたって初めて墓石の下の納骨所を見ました。無垢の骨袋に入れられたお骨が次々と積み重ねられて土に帰っていく。いずれ自分も帰っていくところ、そしてエゼキエルの言葉が現実となるところです。あとどれだけの時間をこの地上の世界で過ごすのを神さまが許してくださるのかわかりませんが、ただ願います。
朝、「神さま、今日為すこと、今日語ることを、どうぞあなたから与えられるもので充たしてください」、そして夜「神さま、今日もあなたが共にいてくださって、折々にとりなしの祈りを与え守ってくださった恵みを心から感謝します」と祈って眠りにつけますように、主人と二人、毎夜み言葉を読み、祈って過ごした日々のように。
(11月6日記)
大阪教会歴史資料室に長年保管されていたが、「所蔵目録」には登録されていない二曲一双の屏風を今後どのように保存するか、修復の必要はあるかの問題。
僻村の牧師の歌 英人ゴールドスミスの詩意を訳す
入谷仙介 [ほか] 校注『漢詩文集』岩波書店, 2004.3 から引用
一叢の樹林 小屋を囲み 中に牧師の幽独を守るあり
一年に得るところ僅かに四十金 自ら謂う 衣食既に豊かに足ると
おべっかを解せず 権勢に求めず その説を変えて以て時俗にかなえず
願わず その身の高位にのぼりて 世間恃がたきの利禄をむさぼることを
ただ願う 窮民無告の者を扶起し 同じく来世の限りない真福を受くることを
門前 豈に長者の車のあらんや 案上 豈に貴人の手紙あらんや
臭穢(しゅうあい)の丐子(がいし)は是れ賓客 家人は看るに慣れて鼻すじ縮めず
あるいは驕り高ぶり家を敗する者の 往事を悔悟して収録を祈ることあれば
一見してこれを許すこと旧識の如し 誘迪 何ぞあえて繁復を憚らん
白頭の老兵 炉辺に座し 一手 杖に倚りて真樸を語る
主人ただその衰朽を憐れみて 往時の善悪 焉んぞ推鞠(すいきく罪を調べる)せん
ああ 牧師はただ窮苦の民を扶起するを願いて その過ちは偏に徳の善なる辺りに在り
常に将に死せんとする者の床に座り 真理を指示して迷津を渡す
憂愁消え去りて快楽生じ 肉身一たび脱して霊魂全し
寺観(教会)の説法 老幼を会し 渾然たるそのすがた 穏やかな言葉
彼のあるいは嘲らんと欲して来る者 これを聞きて感悔し真神(イエスキリスト)を讃う。
会散じて牧師の歩みて家に帰るに 野人はむらがりて 皆な真純たり
村の子ども 後ろより戯れに衣を牽き 博さんと欲す 師の笑ひて唇を開くを
師の果して大笑いしてその頭を巡らせば 慈父の愛 顔にあらわる
この輩憂い有れば 師代りて傷み この輩喜び有れば 師代りてよろこぶ
ああ 塵世に在るも心は天に在り
君見ずや 高山の腰脚は風雨を纏うも 日光は永遠にその頂を照らすを
高橋虔著「宮川経輝」108頁 「このころ経輝はゲーテのファウスト、英国の文豪、スコット、ゴールドスミス、ヂョンソン、ブラウニング、その他ユーゴーの哀史などを読み、また中江藤樹全書をひもといた」 とある。
テモテ前書3章にある牧師のあるべき姿を敷衍したようなゴールドスミスの詩を、自分のあるべき姿と感じ、翌年の外遊を前にして書家である兄上に揮毫してもらったのかもしれない。
このころから宮川牧師は同志社の要職を離れ、他の組合教会の大物牧師とは一線を画し、大阪教会の伝道一筋に進まれたのではないか、その気持ちが表れた書ではないかと思う。
ところで、この屏風を修復し保存する経費の見積りをさるところに依頼したら、70数万円という。内容が分かった今、大阪教会の歴史と、英詩を漢詩として受容した明治の文学史の大事な資料として遺していけたらと私は望んでいるのだが。はてさて
今日5月24日は日本キリスト教団大阪教会は創立150年の記念日です。
記念礼拝は19日に行われ、そのあとの感謝会では150年の歴史を振り返るスライドショーも流されて、神さまが江戸堀の地に使命を与えて建ててくださったときに思いを新たにしました。
「共に歩もう み言葉の光に照らされて」
――献堂100周年 創立150周年記念事業キャッチフレーズ
私は記念事業に関わる委員として、歴史資料室の整備に当たらされていました。
資料整理
教育館2階の奥まったところに歴史資料室があります。今から45年前教育館ができてから、中には7台の大型書架が設けられ段ボール箱に詰まった資料が保管されていました。資料の中身は1981年刊行された「日本キリスト教団大阪教会所蔵資料目録」に登録されたもので、これは当時の大阪教会歴史委員会が梅花学園沢山保羅研究会と同志社大学の研究者の方々と協力して数年がかりの作業を経てまとめられました。創立当初、明治はじめからの大阪教会の6000点余りの資料の貴重なリストです。
このたび教育館のエレベーターを設置するにあたり、予定個所が倉庫になっていたので、資料の大移動が行われました。それがきっかけで資料室の整理も始まりました。目録に登録された資料を順に並べることを第一次の目的として、今日まで2年間毎週木曜日の午前中に歴史資料委員会3名で作業を続けてきました。
資料室の環境整備のため大型除湿機を設置、資料室内にあった図書・資料のカビの除去と燻蒸が専門業者に依頼して行われました。資料は1点ずつ目録と照合しながら確認、紙の酸化を遅らせるため中性紙袋にいれたりしてラベルをつける作業を続けてきました。初期の墨で書かれた日誌類は和紙で綴じられていますが、戦時中の記録は紙が酸化してきて触るとホロホロ崩れるのもあります。長い歴史を感じつつ作業を続けています。
なお、この目録は全国の大学、教会関係の方々に広く贈呈されましたが、最近、国会図書館のデジタルコレクションで公開され、だれでもアクセス可能です。さらに歴史資料委員会では独自でpdfファイルからデータベースを作成し検索が可能となりました。
利用のための規約、細則は役員会で定め、教会報103号にも掲載されています。多くの方に教会の先人の息吹を感じていただきたいと思います。資料は活用、研究されてこそ生かされます。広くキリスト教史の研究の基礎資料として用いられたらと願っています。
これからさらに貴重資料の保存公開をどのように行うか、未登録資料の登録など課題がたくさん残っています。これまでの神様のお導きを感謝し今後も導きを与えられますように祈りつつ、簡単にご報告させていただきました。