2024/08/28

ある古い屏風についてのメモ

 大阪教会歴史資料室に長年保管されていたが、「所蔵目録」には登録されていない二曲一双の屏風を今後どのように保存するか、修復の必要はあるかの問題。




*書かれている内容を解読すること 
  教会員のなかで読める人はいないか。まず国語の先生だった99歳のM姉に尋ねてみた。そこから周りに回って同志社社史資料センターへ、奇しくも宮川経輝牧師の出身校に調査が依頼された。
 回答は思いがけないものだった。
  揮毫者は宮川経敏、経輝の兄上。熊本阿蘇神社神官、書道家。
  書かれた年は明治戊戌(31年)十月 求めに応じて書くとあり
  内容は、中村正直(敬宇)の漢詩でイギリスの作家ゴールドスミスの僻村牧師の歌を意訳したもの。
写真は国会図書館デジタルライブラリー「中村敬宇詩集」の当該箇所

入谷仙介 [ほか] 校注『漢詩文集』岩波書店, 2004.3 による詩の内容は以下の通り

僻村の牧師の歌 英人ゴールドスミスの詩意を訳す   

        入谷仙介 [ほか] 校注『漢詩文集』岩波書店, 2004.3 から引用

一叢の樹林 小屋を囲み 中に牧師の幽独を守るあり

一年に得るところ僅かに四十金 自ら謂う 衣食既に豊かに足ると

おべっかを解せず 権勢に求めず その説を変えて以て時俗にかなえず

願わず その身の高位にのぼりて 世間恃がたきの利禄をむさぼることを 

ただ願う 窮民無告の者を扶起し 同じく来世の限りない真福を受くることを

門前 豈に長者の車のあらんや 案上 豈に貴人の手紙あらんや

臭穢(しゅうあい)の丐子(がいし)は是れ賓客 家人は看るに慣れて鼻すじ縮めず

あるいは驕り高ぶり家を敗する者の 往事を悔悟して収録を祈ることあれば

一見してこれを許すこと旧識の如し 誘迪 何ぞあえて繁復を憚らん

白頭の老兵 炉辺に座し 一手 杖に倚りて真樸を語る

主人ただその衰朽を憐れみて 往時の善悪 焉んぞ推鞠(すいきく罪を調べる)せん 

ああ 牧師はただ窮苦の民を扶起するを願いて その過ちは偏に徳の善なる辺りに在り 

常に将に死せんとする者の床に座り 真理を指示して迷津を渡す 

憂愁消え去りて快楽生じ 肉身一たび脱して霊魂全し

寺観(教会)の説法 老幼を会し 渾然たるそのすがた 穏やかな言葉

彼のあるいは嘲らんと欲して来る者 これを聞きて感悔し真神(イエスキリスト)を讃う。 

会散じて牧師の歩みて家に帰るに 野人はむらがりて 皆な真純たり

村の子ども 後ろより戯れに衣を牽き 博さんと欲す 師の笑ひて唇を開くを

師の果して大笑いしてその頭を巡らせば 慈父の愛 顔にあらわる

この輩憂い有れば 師代りて傷み この輩喜び有れば 師代りてよろこぶ

ああ 塵世に在るも心は天に在り

君見ずや 高山の腰脚は風雨を纏うも 日光は永遠にその頂を照らすを

高橋虔著「宮川経輝」108頁 「このころ経輝はゲーテのファウスト、英国の文豪、スコット、ゴールドスミス、ヂョンソン、ブラウニング、その他ユーゴーの哀史などを読み、また中江藤樹全書をひもといた」 とある。

テモテ前書3章にある牧師のあるべき姿を敷衍したようなゴールドスミスの詩を、自分のあるべき姿と感じ、翌年の外遊を前にして書家である兄上に揮毫してもらったのかもしれない。

このころから宮川牧師は同志社の要職を離れ、他の組合教会の大物牧師とは一線を画し、大阪教会の伝道一筋に進まれたのではないか、その気持ちが表れた書ではないかと思う。


なお、屏風の文字を一字ずつ確定する作業をしているうちに、表装の段階で詩の意味と順序が違っていることが分かった。意識的に順序を変えられたのかどうかはわからない。

ところで、この屏風を修復し保存する経費の見積りをさるところに依頼したら、70数万円という。内容が分かった今、大阪教会の歴史と、英詩を漢詩として受容した明治の文学史の大事な資料として遺していけたらと私は望んでいるのだが。はてさて