2015/01/25

広岡浅子 大阪教会90年史からの覚書

今年10月からのNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」は、〔広岡浅子〕を主人公とするという。

広岡浅子1849.10.18(嘉永2年9月3日)~ 1919.1.14(大正8年)は、1911年(明治44年)日本基督教団大阪教会・宮川経輝牧師から受洗したクリスチャンです。大阪教会の1965.8.10発行の「日本基督教団大阪教会九十年史」をしらべてみると、 以下の7か所に広岡浅子の名前がありました。他の女性会員には付いていない「刀自」の尊称がついているのは、社会的に功をなした60歳を過ぎて求道された教会の中でも特出した人格の持ち主だったのでしょう。
 広岡浅子の娘婿・広岡恵三は.メレル.ヴォーリズの妻一柳満喜子の兄で、ヴォーリズ設計の大阪教会の現会堂ができたのは、広岡浅子が亡くなったあと1922年になります。

明治39年(1906年) 41p 10行目
 五月、教会で婦人大会を開き、牧師の講話があり、聴講者は四百余名に達した。
 この頃、個人宅でも講話を希望する者が多く、牧師は愛国婦人会大阪支部や、広岡浅子刀自の自宅に講話を始め、毎月二回ずつ続行し、……その他約十数団体のために出張して非常な多忙さであられた。
志道者が続出するので、九月三夜にわたって特別祈祷会を開き、「責任の自覚」について祈った。

明治43年(1910年) 50p 4行目 
 宮川牧師の活動をしのぶために、本年中の定期集会表を挙げる。
 日曜日、朝夕説教。月曜日、牧師宅の宗教哲学研究。水曜日、朝、広岡浅子刀自その他のための聖書講義。午後二時、婦人会講話。午後四時、高工学生講義。午後七時、教会での聖書講義。同八時、宗教哲学講演。木曜日午後、湯浅豊太郎氏宅講話。夕、万年社講話。金曜日、加島銀行講話。夜、祈祷会。

大正元年(1912年) 56p 8行目 
十月・・・市内上町方面に新伝道地開始の件を決議し、実行委員として下記の十名を挙げた。
 高木貞衛、土井宙、岡林二三郎、高野太郎、広岡浅子、岡山テル、吉田キミ、湯浅豊太郎、吉田鉄作、荒井栄蔵

大正元年(1912年) 56p 15行目
十一月 婦人会主催の講演会を開き、広岡浅子刀自、森山副牧師が講演した。会衆百余名。

大正7年(1918年) 75p 6行目
 本年二月頃から宮川牧師の健康に多少の異常を呈したので、外部応援は急に減ったが、なお百瀬、柳瀬、広岡の講義、加島銀行講話、水曜会、浜寺、住吉、桜井の各婦人会、高等商業、高等工業高生の金曜聖書講義、各組会の講話、婦人矯風会大会、救世軍希望館、大牟田、岡山協同伝道、神戸女子神学校、神戸組合連合大会、大津、平城等に応援された。

大正8年(1919年) 75p 14、15行
  大阪名流婦人で、熱心に基督教の研究と宣伝とに意を用い、伝道応援のため、地方に出張さえあえてした会員広岡浅子刀自は、急病のため、一月東京で永眠した。

大正8年(1919年) 77p 2行目
五月 広岡浅子刀自の遺志により、聖餐用器具の寄贈を受けた。

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事項の羅列の歴史資料から、一人の人物を追いかけてみると、その頃のキリスト教会の勢いが感じられました。聖書講義が、教会でも、家庭でも、職場でももたれていて、聖書を熱心に求め、学んだ先輩方の思いが伝わります。大阪教会は今年創立141年です。