2019/02/24

箕面に戻って9年目を迎えました

この2月17日で、箕面へ戻ってから丸8年になりました。
主人が愛知工業大学を70歳で定年退職してすぐにも転居するつもりでした。しかし丁度、当時所属していた名古屋の中京教会が会堂建築の計画が動き出して、事前の調査や設計を主人の知己の名古屋大学出身の根村 修氏にお願いしたこともあり、中京教会の会堂が竣工するまで教会の建築委員として名古屋にとどまりました。その間、プリウスで大阪と名古屋を月に1,2度往復する日々が続きました。

2011年1月に献堂式が行われて、そのあとすぐ、箕面に完全に引っ越しました。
以来、聖日は日本基督教団大阪教会で礼拝を守り、週日は二人の静かな生活が続きました。
2年半前に、主人の緊急入院、大手術がありましたが、回復を与えられました。神さまのおまもりにただ感謝するばかりです。
箕面に帰って始めた「家族通信」は93号、「おじいちゃんのれんしゅうもんだい」は、364号を数えました。いずれも読む人にとってより、私たち二人の大いなる”ふたり満足”ですが、続けられいることを何よりの神さまからの祝福と感謝しています。


 ところで、大阪教会は昨年3月、岡村恒牧師が辞任され、主任牧師招聘のために祈りをあわせてきましたが、先週2月17日の臨時教会総会で、本庄侑子牧師を主任牧師としてお迎えすることが決定されました。私は今年度、思いがけなく招聘委員という立場にいました。
 東京神学大学卒業後、すぐに伝道師として大阪教会に遣わされ、ずっと大阪教会のために祈り働いていてくださった本庄先生、岡村先生が辞任されたあと、代務主任牧師として本当に誠実に、日々祈りを深めて働いていてくださった先生こそ、新しい大阪教会の牧者に相応しい方だと、神さまから示され、招聘委員が一致してその決定ができたこと、先生が神さまのみ旨と受諾してくださったことを心から感謝しています。
 「見よ、わたしは新しい事をなす、やがてそれは起る」というイザヤ書の言葉が、大阪教会の歩みにあらわされることに大きな期待をもっています。神さまが、本庄先生の健康を支え、働きをみちびき、私たちの信仰を正しく導かれるように心から祈って、あらたな時代を迎えたいと願っています。

(2019.1.13 教会全体集会での感謝の祈り メモ)
主なる神さまみ名を心から讃美いたします。 
 昨年3月、岡村恒牧師が大阪教会を去られて、私たちは主任牧師を求める祈りを強くしてきました。東京神学大学の大住先生を通じて幾人もの先生方にお願いをしましたがかなわず、そのうちの一人の牧師には直接、招聘委員会からお願いにあがりました。 しかし、神様のみ心は私たちの思い以上であったことに、気づかされました。本庄侑子牧師こそが大阪教会の牧者に相応しいと示されました。私たちは新しいものを求めると言いながら、かえってそれを恐れていたのかもしれません。そのことに気づき、神様に私たちの傲慢をお許しいただきたいと心から祈ります。 2019年、大阪教会は本庄侑子牧師を主任牧師として、久保田拓志伝道師とともにかってなかった体制で臨むことになります。本庄先生の負ってくださる責任、人生をかけてくださったその決断を思うとき、今度こそ、教職と教会員みなが協力して教会の成長をねがうとき、それぞれの場で与えられている恵みに感謝をもって互いに仕えあっていきたいと願います。主よ、どうか、大阪教会を聖霊の息吹でみたし、新たな歩みへと導いてください。  今回の招聘に当たり、日本基督教団の現状について、無牧の教会が増えていること、地方の教会の困難などをも気づかされました。大阪教会が大きな視野に立ってこの地域に、この国の中で福音を宣べ伝えていくことができるように強めてください。 宗教改革以来の原理である、信仰のみ、恵みのみ、一人ひとりが神さまに召されたものであるという、大阪教会の信仰に堅く立って、新しい事をなす、と言われる主に従っていけるようにわたしたちをお導きください。 大阪教会の歴史に記憶されるこの時を感謝し、イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン