2015/09/29

FEBCインターネット放送 大阪教会

9月13日の日本基督教団大阪教会の礼拝がFEBC のインターネット放送で公開されました。
9月28日から10月22日まで、以下のリンクから聞くことができます。

私はこの日、受付当番で1階玄関受付にいましたので、聖堂ではなく、モニター画面で礼拝を守っていました。もう一度牧師の説教を聞き返したいと思います。

http://chfebcjp.blogspot.jp/

***
説教「神の国はすでにきた」(イザヤ49:22〜23、マタイ12:22〜32)
【礼拝式順】
前 奏
礼拝招詞 
頌 栄  539
主の祈り
交 読  詩篇100篇
信仰告白
讃美歌  79
聖書朗読 イザヤ書49章22〜23節
     マタイによる福音書12章22〜32節
代 祷
聖歌隊による奉献歌  讃美歌336
説 教 「神の国はすでにきた」
祈 祷
讃美歌  332
頌 栄  541
祝 祷
聖歌隊による応唱
後 奏
***



2015/09/23

大阪教会と広岡浅子 あわせて羽仁もと子のこと

9月28日(月)からNHKの朝の連続テレビ小説【あさが来た」が始まる。「小説 土佐堀川」を原作にした、明治・大阪の実業家、広岡浅子の物語。

現在、大阪、肥後橋の南東角に堂々たる社屋を構える大同生命の創始者、あるいは女性の教育に積極的に関わり、日本女子大学の創設発起者として名を残しておられる人で、NHKの番組案内では、そのあたりまでの生涯が描かれるらしい。

しかし、広岡浅子は、現在の日本基督教団大阪教会員であった。

大阪教会にも、TV関係者の取材があったということだが、ドラマの中でも、浅子の精神生活がきちんと紹介されることを期待するのは、私だけではないと思う。

大阪教会で1911年宮川経輝牧師によって洗礼を授けられた時の様子が、自伝にある。

 人を恐れず天を仰いで 復刊『一週一信』 新教出版社 2015
 「超訳」広岡浅子 自伝」 KADOKAWA 2015(吉良芳恵 編著)

 降誕祭を期して受洗す 1911年
   大阪教会においては、例年クリスマスの洗礼は日曜学校の青年男女に限ることとしていて、その日も受洗者十名のうち九名は十三四歳から十八九歳までの青年男女でした。私はことさらにこの子供らの中に入れていただくようにお願いしたのでした。
九時三十分に会堂に参り、十時に洗礼式がはじまり、式が終わると宮川牧師は九人の洗礼のために祈り、次いで私のためにさらに祈祷してくださいました。
「聖なる父よ、この中の一人の老婦は我が国維新の際、種々なる困難を一身に荷い、家政のため、また国家事業のため、苦心奮闘を続け、晩年に至り、同性の向上発展を促さんため、非常に尽力いたしました。しかれどもこれ物質上のことにして、霊の生命の添いがたきを悟り、齢六十、多くの人は碌々として退隠なすべき時にあたり、老婦は奮然立って神の道を学び、残る生涯を神に捧ぐる決心をなし、すなわち今日ここにバプテスマを受け給いしことを、まことにありがたく感謝し奉る。どうぞ主よ、この老婦の前途過ちなく、世のため、人のため尽くし得る力を与え給わんことを、尊きイエスキリストの御名によりてひたすらに希い奉る。アーメン」
と清らかなる祈祷の声は堂に響き、神の御前にあるを深く知り、言い知れぬ感に打たれました。右終わってさらに説教「祈祷の意義」と題してお話しされましたが、かつてなくその教えは心に沁み渡りました。(超訳 p31)

大阪教会90年史で広岡浅子の信仰の歩みは、このブログで振り返ったことがある。
広岡浅子 大阪教会90年史からの覚書

今年10月25日(日)午後に開催される「第52回教会バザー」は、大阪教会のオープンハウスの機会だが、当日、会議室を会場に「広岡浅子展」がある。教会にある原資料をもとに。信仰者としての広岡浅子を紹介する試みで、今担当の方が準備中です。
是非、大勢の方が足を運んで、”女だてらに”実業の世界に生きた女傑というイメージとは違う側面をも知っていただきたいと願っている。

***

 また、「超訳 広岡浅子自伝」には、一般誌に寄稿した広岡浅子の文章が紹介されていてその婦人教育にかける思いを知り、現在の私たちも叱咤激励されるところ、婦人之友創刊、自由学園を創設、 全国友の会の主導者、羽仁もと子をあわせて覚えるのは、また私だけではないだろう。

 洗礼を受けた翌年の「婦人之友」10月号に掲載された文章がある。    「超訳42p」 
「大正の婦人に望む」
          婦人之友1912年(大正元年)10月号から抜書き   
  1 明治の御代と大正の御代 
明治から大正に替わり、新しい時代になったことをのべ
  2 遊戯を離れて真実に働け
    …私はまず第一に、今の婦人は、もっと本気に、めいめいの頭を養うことを、娘でも、学生でも、職業を持っている人でも、妻になった婦人にも、母になられた方にも、また、我々のように年をとった婦人でも、始終怠らずつとめていただきたいと思います。絶えず自らを教育するということは、努力しなければ、どんなに暇な豊かな境遇にあってもできるものでございます。・・・貧しい人の救済に働こうとするならば、自ら貧しい人々の生活に入り込んで、その生活の有様を見てきて初めて、彼らを救う方針が立つのです。・・・
  3 人格から湧き出る力
・・・それぞれの家庭における大切な任務をただ習慣的に遊び半分のことのように見なすことなく、本当に自分で養った人格の中心から燃えいずる愛と信念と、そうして今少し進んだ能力を持って、本気で家を治め、真剣に子どもの教育をしてくださるならば、社会はたちまちにして、すべての方面において、その偉大な功績のおかげをこうむることができるのであります。婦人の最も大いなる働きは、ここにあることは言うまでもありません。・・・常に謙遜して、真実の心をもって自分を省み、修養を怠らない人であったならば、その人のする仕事は小さくても大きく役立もし、またその周囲に何らかの感化を及ぼすでしょう。・・・今日以後、わが国婦人のその使命を果たす道はまず速やかにその人格を修養することによって得られるものと、私は信じて止まないのでございます。
羽仁もと子著作集でなじんだ言葉となんと似ていることか。社会変革の中心は女性にあると 、啓発にそして実際の事業に取り組んだ先人の思いを大切に継承していきたい。

2015/09/16

安威の墓地から茨木市内 (母の納骨式)

9月14日(月)安威の墓地への母の納骨、弟夫婦と妹夫婦、義姉、と私たち夫婦7人が集まる。
晴天に恵まれ、日差しが暑い、しかしさわやかな空気の一日。
大念寺さんの読経に皆も唱和して30分ほどの式、あと骨壺からお骨を晒しの袋に入れ替えて墓石の下に納める。27年前に納めた父のお骨の上に。




墓地の小高い丘からは、継体天皇陵の前方後円墳の緑がくっきりと見える。はるか向こうに生駒山の方角、大阪平野の北側一帯を見渡すことができる。

茨木市内のお店で会食、ここは私が小学生時代育った家の近く、弟妹も久しぶりに訪れた町の変化を懐かしむ。


もとの家の近くだった梅林寺が、さらに存在感を増していた。
片桐且元が城主であった茨木城址にある茨木小学校。
正門は城の櫓門を復元した立派なものになっていた。




 茨木城の門を移築した、神社の門。 茨木神社は子どもの頃のあそび場だった。特に旧茨木川沿いの土手の並木は皆で木登りをよくしたところ。妹は楓の木から落ちたときのことをよく覚えていた、「あの時は姉ちゃんがあそこの手水場で洗ってくれた、犬の糞の上だったものね」。私が5年生だったとすると妹は1年生ごろの話。



母が望んでいたように、きょうだい仲良く、よい時間を共有するうちに、葬りの一連の行事の節目を無事に迎えることができた。いろいろ段取りをしてくれた弟夫婦には心からの感謝を伝えたい。

2015/09/10

ちゑのあけぼの

「ちゑのあけぼの」=「THE DAWN OF WISDOM」

 明治19(1886)11月に創刊 明治21(1888)4月に67号をもって終刊となった、日本最初の少年少女向け雑誌の名前だという。
「『ちゑのあけぼの』の探索」という本を大阪教会の歴史資料室の書架から借りて読んだ、以下簡単な読書ノート

「『ちゑのあけぼの』の探索」 副題:鹿鳴館時代の大阪・京都・神戸
著者は、桝井孝 2011年10月 かもがわ出版発行 21cm*15cm 270頁。
 桝井孝氏は、著者略歴によると元大阪府教育長、在職中に大阪府立国際児童文学館設立に関与された。


ちゑ から連想する聖書のことばは、例えば 「主を畏れることは知恵のもとである」箴言9:10 など多くある。
あけぼの「曙」→ 覚醒 からは、「あなたがたの眠りからさむるべき時が、すでにきている。… 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。」ロマ書13:11-12 が思い出される。

この「ちゑのあけぼの」というのは、明治時代、大阪のキリスト者が中心になって発刊した、子ども向けの雑誌。銅版画を用い印刷した4ページから8ページの週刊誌。
大阪教会牧師であった宮川経輝も編集に関わっていたという。

152-153頁 第四章 (雑誌「ちゑのあけぼの」の内容)

目次を記すと

第1章  雑誌「ちゑのあけぼの」とその時代
 1 雑誌「ちゑのあけぼの」との出会い
 2 「ちゑのあけぼの」の探索と概要
 3 「日本最初の少年少女雑誌」
 4 明治中期という時代 
第2章 「ちゑのあけぼの」が発刊されるまで
 1 キリスト教の伝道と新興都市 神戸・横浜
 2 キリスト教伝道のための新聞雑誌
 3 日刊新聞「太平新報」のこと
第3章 「ちゑのあけぼの」の創刊と人々の苦闘
 1 「ちゑのあけぼの」の創刊
 2 「ちゑのあけぼの」の「発行の主意」
 3 「ちゑのあけぼの」発刊の際の祝辞
 4 「ちゑのあけぼの」のその後の歩み
 5 当時の新聞・雑誌の検閲
 6 「ちゑのあけぼの」の編集者と読者
 7 関西三都のこと
第4章 雑誌「ちゑのあけぼの」の内容
 1 「ちゑのあけぼの」の文体
 2 用字と仮名づかい・句読点
 3 欧化主義の時代と英語の初歩講座
 4 「ちゑのあけぼの」の論説・論評
 5 本誌の読み物
 6 「軍歌体」と呼ばれた新体詩
 7 「治まる御代」の大阪
 8 「ちゑのあけぼの」の科学読み物
 9 儒教主義
 10 「寄書」と呼ばれた投書について
 11「ちゑのあけぼの」終刊の辞
第5章 「ちゑのあけぼの」が残したもの
資料編 年表

著者が古本屋の店先で48号から52後の合本を見つけてからの14年かけての探索が、詳細につづられている。
この雑誌の発行所は大阪市西区江戸堀南通・・・ 大阪教会のすぐ近くの住所である。
川口居留地にいた宣教師の影響を受けた人たちが多くかかわって、日刊新聞を発行したが検閲にひっかかって廃刊に追い込まれ、そのあと子ども向けの雑誌に転じ、宗教色は前面に出さない内容で、しかし、西欧の偉人伝記や教訓話などが多く掲載されたこと・・・
当時の大阪・京都・神戸の知識人の活動の雰囲気が伝わり、最後まで興味深く読み通した。
巻末の資料・全巻内容は、本当に貴重な労作だと思う。(柿本真代さんの仕事)

ちょうど最近合わせて読んだ広岡浅子の「人を恐れず天を仰いで-一週一信」が、「基督教世界」という雑誌に掲載された、明治末から大正にかけての文章の復刊であった。

 「人を恐れず天を仰いで 復刊「一週一信』」 新教出版社 2015年7月発行 19cm*12.5cm 181頁

日本におけるキリスト教の伝道のための、様々な苦心、工夫の一端を知ることができた。
ともに好著。