「ちゑのあけぼの」=「THE DAWN OF WISDOM」
明治19(1886)11月に創刊 明治21(1888)4月に67号をもって終刊となった、日本最初の少年少女向け雑誌の名前だという。
「『ちゑのあけぼの』の探索」という本を大阪教会の歴史資料室の書架から借りて読んだ、以下簡単な読書ノート
「『ちゑのあけぼの』の探索」 副題:鹿鳴館時代の大阪・京都・神戸
著者は、桝井孝 2011年10月 かもがわ出版発行 21cm*15cm 270頁。
桝井孝氏は、著者略歴によると元大阪府教育長、在職中に大阪府立国際児童文学館設立に関与された。
ちゑ から連想する聖書のことばは、例えば 「主を畏れることは知恵のもとである」箴言9:10 など多くある。
あけぼの「曙」→ 覚醒 からは、「あなたがたの眠りからさむるべき時が、すでにきている。… 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。」ロマ書13:11-12 が思い出される。
この「ちゑのあけぼの」というのは、明治時代、大阪のキリスト者が中心になって発刊した、子ども向けの雑誌。銅版画を用い印刷した4ページから8ページの週刊誌。
大阪教会牧師であった宮川経輝も編集に関わっていたという。
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152-153頁 第四章 (雑誌「ちゑのあけぼの」の内容) |
目次を記すと
第1章 雑誌「ちゑのあけぼの」とその時代
1 雑誌「ちゑのあけぼの」との出会い
2 「ちゑのあけぼの」の探索と概要
3 「日本最初の少年少女雑誌」
4 明治中期という時代
第2章 「ちゑのあけぼの」が発刊されるまで
1 キリスト教の伝道と新興都市 神戸・横浜
2 キリスト教伝道のための新聞雑誌
3 日刊新聞「太平新報」のこと
第3章 「ちゑのあけぼの」の創刊と人々の苦闘
1 「ちゑのあけぼの」の創刊
2 「ちゑのあけぼの」の「発行の主意」
3 「ちゑのあけぼの」発刊の際の祝辞
4 「ちゑのあけぼの」のその後の歩み
5 当時の新聞・雑誌の検閲
6 「ちゑのあけぼの」の編集者と読者
7 関西三都のこと
第4章 雑誌「ちゑのあけぼの」の内容
1 「ちゑのあけぼの」の文体
2 用字と仮名づかい・句読点
3 欧化主義の時代と英語の初歩講座
4 「ちゑのあけぼの」の論説・論評
5 本誌の読み物
6 「軍歌体」と呼ばれた新体詩
7 「治まる御代」の大阪
8 「ちゑのあけぼの」の科学読み物
9 儒教主義
10 「寄書」と呼ばれた投書について
11「ちゑのあけぼの」終刊の辞
第5章 「ちゑのあけぼの」が残したもの
資料編 年表
著者が古本屋の店先で48号から52後の合本を見つけてからの14年かけての探索が、詳細につづられている。
この雑誌の発行所は大阪市西区江戸堀南通・・・ 大阪教会のすぐ近くの住所である。
川口居留地にいた宣教師の影響を受けた人たちが多くかかわって、日刊新聞を発行したが検閲にひっかかって廃刊に追い込まれ、そのあと子ども向けの雑誌に転じ、宗教色は前面に出さない内容で、しかし、西欧の偉人伝記や教訓話などが多く掲載されたこと・・・
当時の大阪・京都・神戸の知識人の活動の雰囲気が伝わり、最後まで興味深く読み通した。
巻末の資料・全巻内容は、本当に貴重な労作だと思う。(柿本真代さんの仕事)
ちょうど最近合わせて読んだ広岡浅子の「人を恐れず天を仰いで-一週一信」が、「基督教世界」という雑誌に掲載された、明治末から大正にかけての文章の復刊であった。
「人を恐れず天を仰いで 復刊「一週一信』」 新教出版社 2015年7月発行 19cm*12.5cm 181頁
日本におけるキリスト教の伝道のための、様々な苦心、工夫の一端を知ることができた。
ともに好著。