●世界のお祭り●第12回 カーニバル〈謝肉祭〉(世界各地) 2月
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冬の寒空を吹き飛ばすような華やかなカーニバルの様子が、今年も世界の各地から
伝えられるようになりました。カーニバルは、主にローマ・カトリックの国々で見ら
れるにぎやかなお祭りで、復活祭前の準備期間である四旬節の前に行われます。四旬
節は、日曜日をのぞく40日間、イエス・キリストの受難を思い起こし、派手なふるま
いや肉食を控える期間なので、その前に祝宴を開き肉を食べるようになったのが始ま
りだそうです。カーニバルという言葉はラテン語で肉を取り去るという意味の「カル
ネム・レウァーレ」が語源とされ、日本では「謝肉祭」と訳されています。
カーニバルといえば、ブラジルのリオデジャネイロのものが有名ですが、それぞれ
の国で土着の農耕祭などと結びついたため、さまざまなバリエーションがあります。
身分に関係なくお祭りを楽しめるようにと、仮面をつけたり仮装したりすることが多
いようです。たとえば、アメリカのニューオーリンズでは、マルディ・グラと呼ばれ
る最終日に毎年世界じゅうから多くの観光客が集まり、派手なフロート(山車)や仮
装した人びとによるパレードを楽しみます。
イタリアのベネチアでは、サンマルコ広場に大きなステージが設けられ、ショーが
繰り広げられるほか、仮面をつけた人びとが町じゅうを練り歩き、独特の雰囲気に包
まれます。一方、イタリア北部のイヴレーアという町では、馬車の上の兵士に向かっ
てオレンジを投げつける「オレンジ合戦」が3日間にわたって行われるそうです。
イギリスでは、パンケーキを盛大に食べる「パンケーキ・デイ」があります。これ
は四旬節の前に卵や牛乳を食べつくすために始まったようです。ドイツのケルンのカ
ーニバルでは、おとぎの馬車などが繰り出して、集まった人びとにお菓子が投げられ
ます。
いつもの町が夢のような世界に変わるカーニバルは、子どもたちにとっても楽しみ
なお祭りで、絵本や読み物にも多く登場します。時空を越え世界を旅する物語『スト
ラヴァガンザ――仮面の都』(メアリ・ホフマン作/乾侑美子訳/小学館)のエピロ
ーグは文字通り「カーニヴァル」と名づけられ、仮面をつけ、きらびやかな服を身に
つけた人びとが通りを踊り歩き、真夜中まで浮かれ騒ぐ様子が描かれています。
また、レオ・レオニの絵本『みどりのしっぽのねずみ――かめんにとりつかれたね
ずみのはなし』(谷川俊太郎訳/好学社)では、森で平和に暮らしていた野ねずみた
ちが、町からやってきたねずみにマルディ・グラの話を聞いて、自分たちも仮面をか
ぶってパレードや舞踏会を開く、このような場面があります。
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みんなは おどった、うたった、そしてたのしんだ、つきが そらの いちばん た
かい ところに のぼるまで。
それから みんな くらい しげみの なかに かくれ、かめんを つけた。きのみ
きや、いわの うしろから、おそろしい うなりごえや、さけびや、かなきりごえを
あげて、こわがらせあい、するどいはと きばで、おどしあった。
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この野ねずみたち、仮面をつけているうちに、いつしか本来の自分たちの姿を忘れ
てしまい、憎しみあい疑いあうようになってしまいます。ミステリアスでわくわくす
る仮面も、お祭りの間だけつけているからこそ、楽しいもののようですね。
★参考文献
『日本大百科全書』(小学館)
"Encyclopaedia Britannica"
『イタリア四季の旅』(田之倉稔著/東京書籍)
ベネチア市公式ウェブサイト(英語)
http://www.comune.venezia.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/EN/IDPagina/1
(笹山裕子/村上利佳)
2008/02/02
読売新聞編集手帳2008.2.2
〈ばばさま/ばばさま/今までで/ばばさまが一番幸せだったのは/いつだった?〉。「答」という詩は、茨木のり子さんの詩集「女がひとり頬杖 をついて」(童話屋刊)に収められている◆14歳の孫娘から問われた祖母はゆっくりと過去に思いをめぐらせて答えを探すかと思いきや、そうではなかったという。〈祖母の答は間髪を入れずだった/「火鉢のまわりに子供たちを坐 らせて/かきもちを焼いてやったとき」〉◆寒の内についた餅 をさいの目などに刻んで乾燥させ、煎 ったり、油で揚げたりして茶菓子にする。冬から春にかけて、かきもちの素朴な味を懐かしく思い出す人は多かろう◆問われるのを待っていたような即答は、茨木さんの祖母が「一番幸せだった時」をいつも心に映しては眺めていたからに違いない。愛する者に物を食べさせる幸せが「嘘 」や「毒」に脅かされている今、詩句がひとしお胸にしみる◆詩は結ばれている。〈あの頃 の祖母の年さえとっくに過ぎて/いましみじみと噛 みしめる/たった一言のなかに籠 められていた/かきもちのように薄い薄い塩味のものを〉◆暦の冬はあすの節分で終わり、まだまだ寒さの厳しい名のみの春に移る。火鉢でかきもちを焼く人の姿を遠く思い浮かべては、「薄い薄い塩味のもの」で瞼 の裏を湿らせる方もあるだろう。
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