2019/09/24

愛知用水見学会に参加しました 一日目

主人の大学時代の同窓会の企画に加えていただいて、愛知用水、牧尾ダムから美浜まで、北から南まで見てきました。9月19日(木)-20日(金) 参加者は4名。

今年1月の同窓会新年会で「愛知用水を見たい」と口走ったのは「建築」の木村さん、その言葉を受けて「土木」の竹村さんが、三度の下見までして旅程を考え、各施設の説明のアポを取ってくださいました。竹村さんは、大学卒業後「くろよん」から始まった電源開発の土木技術専門家、インドネシアにも10年派遣されておられたとのこと。
同窓会メンバー30名にメールで案内が配信され、それに喜々として応じたのは「建築」の大井、主人です、私も便乗させてもらいました。
卒業60周年の記念の年、82歳になって泊りがけの旅行に躊躇を覚える方が増えてきたようです。というわけで、阪大構築34年会の「愛知用水見学会」は4人で、交通機関はJRと名古屋地下鉄、名鉄、そしてタクシー利用、宿泊は名古屋ガーデンパレスでした。

私が愛知用水と聞くと、思いだすのは中京教会におられた山田正義さんの言葉です。
名古屋市の土木局に長く勤められていました。名古屋に転居して中京教会で家族みなで教会に通っていました。祈祷会にも時折出席して山田さんとご一緒に祈る時がありました。「伝道」を一生懸命考えておられました。そしてわれわれにも「久野庄太郎」さんのような熱意が必要だとよく聞かされました。
1947年、水不足で苦しむ知多半島に木曽川の水をひこうと考えた久野庄太郎さんは、農学校の濱島先生と共に地元の人を説得し、用水をつくる運動を開始しました。濱島先生が測量して作った木曽川から知多半島までの100km以上になる計画図をもとに、時の総理大臣吉田茂にも陳情、国家プロジェクトとして決定され、1957年愛知用水の水源として牧尾ダムの建設が始まりました。世界銀行の融資を受け、アメリカの土木技術者の協力、大型機械によって昼夜兼行の工事で4年で完成しました。ロックフィルダムです。
愛知用水の詳しいことはこちらをご覧ください
 愛知用水とは 水資源機構愛知用水総合管理所ホームページ

9月19日10:25 特急「しなの」で木曽福島着、ここで4名が合流。
木曽福島からタクシーで牧尾ダムへ。管理所の所長さんから説明を受けました。
水資源機構 牧尾管理所




 

待ってもらっていたタクシーで木曽福島に戻り
12:30木曽福島 特急しなのに乗車、多治見から太多線で可児まで。14:20
タクシーで兼山ダムまで。
(兼山は森蘭丸の生誕地、来年の大河ドラマの舞台だそうです)


JR可児駅

上流管理所(兼山取水口)
 ここでも所長さんに丁寧に案内していただきました。


毎秒15トンの流れ、ここから知多半島の美浜まで13時間

関電兼山ダムから愛知用水は取水しています。取水調節ゲート

完工記念碑
「この木曽の水は百年の夢をうつつに愛知用水として
濃尾の野をうるほす ゆくてに幸多かれ 福沢桃介著
車で5分ほどのところ、ダム湖からトンネルを抜け、開口している水路を見学


可児から多治見、中央線で千種、地下鉄で栄、ホテルに到着。午後6時半ごろ。
夕食は錦三丁目の居酒屋さんで。
ゆっくり飲んで語らいました。
それぞれ現在の生活で大切にしていることは?
①家事 ②社会貢献 ③自己研鑽 と 老いても優等生の答でした。

一日目はここまで

愛知用水見学会に参加しました。二日目

構築34年同窓会の愛知用水見学会2日目です。
名古屋ガーデンパレスの朝食は7時から、私たちが食堂に降りてみると竹村さんも、朝に弱いという木村さんも既にテーブルについておられました。7時半過ぎにはチェックアウトをして出発。今日は地下鉄で愛知池に行き、名古屋駅に戻って名鉄で知多半島に向かいます。(あいにく河和あたりで女子ゴルフの大会があり、かの”渋野”が来るというのでタクシーが出払ってしまうという情報あり、午後1時半に予約したタクシーをどうしても逃すわけにいかないのでした)

名古屋地下鉄「栄」から名鉄豊田新線の「米野木」まで、愛知池の見学です。
私たちは名東区に住んでいましたから馴染みの地名ですが街並みは変わり駅前にも高層のマンションが増えていました。
タクシーで愛知池総合管理所まで。早く着いたので先に池を眺めました。

米野木駅

愛知池



愛知用水総合管理所

私たち4人のために設備課課長さんから愛知用水の歴史から工事のこと、流域にもたらした大きな恵み、2期工事のことなど、プロジェクターで丁寧に説明していただきました。
(小・中学生時代を名古屋で過ごした我が家の息子たちも、きっとこの場で現地学習をしたと思います)



愛知用水流域図が掛けられています

愛知池堰堤
大急ぎで名古屋駅に戻り、名鉄知多線で河和へ、1時半丁度に河和につきました。
お昼は駅のコンビニのおにぎりを買いこんで、一般車両で特急券のいらない特急の中で。

河和駅から待ってくれていたタクシーで美浜調整池に


美浜調整池全景 愛知用水からの水は池の真ん中あたりにパイプラインから取り入れています


ポンプ場 美浜調整池からの水をポンプで山向こうの農業用水に送るため



 
パイプラインの先にどんな景色が広がるか、見に行きたかったのだけれど…
知多の山並みのなか上の方をぬって流れていきます。トンネルがあったりパイプラインになったり開口していたり。広目水路。

愛知用水は牧尾ダム、上流(兼山)、中流(愛知池)=総合管理所、下流管理所(前山池)
に事務所を置いています。
最後に前山池を訪ねました。









これは農業用水に用いられる水路、毎秒6トンぐらいとか。流量は絶えず調節されている。

佐布里池 水を抜いて工事中でした。

名鉄 朝倉駅までタクシーで知多半島を北上しました

ホームでタクシー代などの清算、2日間で4万円余でした。4人で折半。
それぞれのタクシーの運転手さん、お世話になりました。
ツアーコンダクターとして最高だった竹村さん、ありがとうございました。

名古屋駅周辺は輝いていました
愛知用水が完工したのが1961年、以来知多半島の農業はうるおい、工場が進出し、人口が増えました。わずか60年足らずの間、高度成長の時代の中部地方の基礎のインフラとなっています。農業用水、水道用水、工業用水として一年中休みなく水量の調節をして必要なだけを絶え間なく送水するために、多くの工夫とご苦労があることをしりました。
木曽川の水の旅、お聞きした技術的なことは私には伝える力がありません。ただ、水不足に苦しむ農民を救うために木曽川の水を知多へと、大きな幻を抱いて行動を開始した、久野庄太郎さんのような方がいたことを忘れないでいたいと思います。