2015/04/06

「生活合理化と家庭の近代」

 昨日4月5日朝刊の読書欄に小関孝子著「生活合理化と家庭の近代-全国友の会による「カイゼン」と『婦人之友』」という本の書評が出ていた。
 以前に小関氏の”「全国友の会」研究~入会者数の変化と社会的要因に関する考察~”という論文をネットで読んだことがあるので、もっと読んでみたいと思いAmazonに注文したら、今朝もう届いた。

友の会員として、30年以上を過ごしてきたけれど、行き詰まりを感じる今、客観的な立場からの分析を参考にして、これからの方向を見出すことができたらと思う。

追記4/16

「生活合理化と家庭の近代」

 羽仁もと子の思想の形成期から、各地に「婦人之友愛読者グループの「友の会」が結成されて」いった昭和初期から現在までの歴史を、1 家庭の中のカイゼン 2 婦人雑誌と読者 メディア論 3 非営利組織の事例研究 4.消費社会での生活合理化の意味 の視点で論考されている。

私は、1977年4月入会、以来37年になる。この本の第4章の段階から加わったことになる。羽仁もと子が亡くなった後、高度成長期の日本で家事家計講習会によって大幅に会員数を増やした友の会が、その後の個人消費の時代に会員数が減少する局面に入ったころになる。

目次は以下の通り

序章 『婦人之友』愛読者組織「全国友の会」とは
  第一節 家庭は簡素に社会は豊富に--生活合理化というキーターム
  第二節 『婦人之友』・自由学園・「全国友の会」--創設者羽仁もと子とその関連団体
  第三節 「全国友の会」の歴史から何が見えるのか--資料と分析視点

第一章 生活合理化への助走--明治・大正期の『婦人之友』
  第一節 羽仁もと子の思想形成--「家庭」「生活」へのこだわり
  第二節 『婦人之友』の読者層--近代的家庭の形成を目指す知識階級の妻たち
  第三節 関東大震災後の「生活を簡素に」という気運の高まり
  第四節 『羽仁もと子著作集』創刊による羽仁もと子思想の明文化

第二章 知識階級の妻たちによる啓蒙運動--戦前・戦中・戦後:1930-1954
  第一節 「合理化」という言葉の登場と背景
  第二節 婦人による実践団体として始動した「全国友の会」
  第三節 戦時体制下の活動--家事家計指導「十人組」
  第四節 戦後復興と農村生活の近代化--「われらの衣食住展覧会」

第三章 専業主婦による暮らしのカイゼン--高度経済成長期:1955-1974
  第一節 核家族化と衣食住の急激な変化
  第二節 主婦の教本としての婦人雑誌ブームと『婦人之友』
  第三節 会員数の急増と活動の全国統一化--「家庭生活展覧会」「家事家計講習会」
  第四節 暮らしのカイゼンサークル機能--生活合理化のための家庭という現場

第四章 伝承の技としての生活合理化--個人消費の時代:1975-1994
  第一節 個人消費化の潮流に逆行する「全国友の会」--伝承の技となる生活合理化
  第二節 会員数の減少と会員層の限定化--転勤族妻たちの受け皿と主婦アイデンティティ形成の場に
 第三節 社会活動への使命感の維持--バングラディシュ交流事業

第五章 生きるための基礎としての生活合理化--危機管理時代:1995-
 第一節 現在の「全国友の会」--組織構造と活動内容
 第二節 生活合理化の再評価--被災者支援活動と「スーパー主婦」

第六章 生活合理化と近代化のダイナミズム
 
おわりに、これからの友の会のあり方についても提言されている。 
 組織の非合理性がかえって組織を有機化し続ける効果があり、どの時代においても柔軟に機能し続けてきた強み。現代人が社会のシステム化のうちに置き去りにしてしまったもの。
 モノ消費の価値観でモノをとらえることによって、はじめて消費の欲望を抑えて予算や予定に基づいた生活が可能になるからである。現在の生活合理化の再評価は、社会がモノ消費への回帰を欲していることの表れなのではないか。環境問題、エネルギー問題、災害対策、長引く不況、高齢化社会、といった多くの問題を抱える現代社会を生き抜くために、私たちが「脱・意味消費」を模索しているという時代の空気が、物を大切に使うという暮らしの態度となって表出しているのではないだろうか。

 現在「全国友の会」の会員の半数以上が60歳代の女性である。友の会は会員と共に年をとり現在その社会的役割を変化させつつある。新たな社会的役割は、超高齢化社会を迎える日本社会において、自立した女性たちのネットワークとしての機能である。・・・「全国友の会」の生活合理化には、老後の安心という新たな概念が加わりつつも、同じ「実践」が繰り返され継承されていくのではないだろうか。
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一読した後、最後でこれからの友の会が高齢化時代の中で会員数が減少しても決して消滅しない団体だ、そして会員の高齢化に伴ってその役割を変化させていくと結論付けられていて、非常に物足りない思いがした。物知りのおばあさん仲間が若い人たちに生活技術を伝授して、それで満足しているような光景が思い浮かんだのだ。それでは羽仁もと子が時代の先を見つつ、”思想しつつ生活しつつつ祈りつつ”呼びかけたことが空しくなると思う。
 唐突な言い方かもしれないけれど、友の会の活動に「神の国と神の義を求めよ」というみ言葉を忘れてはいけないと改めて思った。