最近しばしば、心に浮かぶ祈りの言葉があります。受洗したころ我が家の本棚に加わった本ですが、「朝の祈り 夜の祈り」の中の、24日の朝の祈りです。(J.ベイリー 著 新見 宏 訳 1979年 第41版 日本基督教団出版局)
うろ覚えだったのを確かめて、ここにも書き留めます。
神よ、きょうわたしの生活をとりまくすべてのものを用いて、罪の実ではなしにきよい実を結ばせることを教えてください。失望を、忍耐の契機として用い成功を、感謝の契機として用い不安を、不屈の契機として用い危難を、勇気の契機として用い非難を、忍苦の契機として用い賞賛を、謙遜の契機として用い娯楽を、節制の契機として用い苦痛を、堅忍の契機として用いることができますように。主イエス・キリストよ、あなたはみ前にそなえられた喜びのために、恥をかえりみずに十字架をしのび、いまは神のみ座の右にすわっておられます。どうかわたしが心つかれて倒れることのないように、罪人らの反逆に耐えたあなたを思うことができますように。
――- J.ベイリー「朝の祈り 夜の祈り」から