宣われよき嗣業をえたるかなと思うことは、少なくとも長いあいだ自分に与えられた世の中を本気に経営し、その結果の幾分を経験し感謝するところの老年者でなければ言えないことだと思います。そうして他の大多数はどうかして後になって、そう心からいえる人にならなければ、自分のために困るばかりでなく、自他ともに苦しいものになり他人に迷惑を及ぼすことになるのです。準縄(はかりなわ)はわがために楽しき地におちたりと、その祖先にも周囲にも感謝することのできる人は必ずいくらかでも、その子孫からも周囲からも感謝される人でしょう。ありがたいその感じを、ますます深くし、確かに成長させていきましょう。(羽仁もと子著作集「友への手紙」昭和26刊 p242から抜粋)2014年の新年に、著作集のこの箇所に心惹かれたのは、自分自身、老年期を迎えたせいばかりでなく、今年も、友の会に連なって多くの友とともにささやかな思いを、力をあわせつつ、「家庭からよき社会へ」という友の会の願いがかたちづくられるようにと思うからでしょう。
続けて羽仁先生は、猿蟹合戦を引き合いに持ち出して、蟹が”・・・「正直者は馬鹿を見る」、それが人生なのだと決めてしまおうか。「このような人生は造り変えなくてはならない、さあまたこれからだ」”と、柿の木の手入れをどこまでも楽しんで続けたように、”さらにこの世の中をよりよいものにする新しい仕事を発見して働きつづけ、さらに神の経綸を学びつつ、一生感謝して楽しくなってゆくか。それはその人の愚鈍と聡明と信と不信とによって定まる自由です。”と述べておられます。
神がともにいまして、私たちのその志を守ってくださいますように。
詩編16編6-9節 (新共同訳)
測り縄は麗しい地を示し
わたしは輝かしい嗣業を受けました。
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし
わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし
わたしは揺らぐことがありません。
わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。
元旦の祝いの食卓、ほとんど手作りの品で揃えることができました。 |