2025/12/08

「長祥君の肖像」についてのメモ書き

 11月、教会のスモールグループ「江戸堀MARY]の仲間と大阪中之島美術館で開催していた「小出楢重-新しき油絵展」を鑑賞しました。

出品されていた「長祥君の肖像」についてのメモ

①産経新聞記事2025/11/7 から一部引用

画家・小出楢重の回顧展 油絵で追求し続けた日本女性の美 大阪中之島美術館で開催

 本展のもう一つの見どころは、展覧会開幕直前に発見された「長祥君の肖像」の油彩画だ。楢重の中学時代の同窓生である吉田長祥氏を描いた作品で、その裏には「年三十に達し将に天下を掌握せん 作者は親友 小出楢重氏」と記されている。当時、文展に連続して落選し、落ち込んでいた楢重を勇気づけようとする友情を感じる。作品は吉田氏の娘婿である作詞家の阪田寛夫氏の子孫に受け継がれていた。絵の左隅には裂けた跡がある。昭和20年の大阪大空襲の焼夷(しょうい)弾の破片が貫いた跡だという。

長祥君の肖像 小出楢重 1918

阪田寛夫は、大阪教会で長年執事を務めた阪田素夫の息子ですから、この吉田長祥という方は大阪教会会員だった方ではと、すこし調べてみました。

②大阪教会出版物「松本雅太郎文書」から

・1917年6月5日発表された会堂建築委員30名のうちに阪田素夫らと共に 吉田厚 の名があり

・1922年(大正11年)新会堂の献堂の報告書中、 建築事業関係者のうち常務委員に吉田長祥の名があり、ヴォーリズ建築の現会堂の建築に大きく関わっていたことがわかります。

・1923年(大正12年)日本組合基督教会第39回総会の項 社会事業委員会 吉田長祥氏寄付申し出の養老事業寄付金並びに寄宿舎受納の件につき協議した。

・1926年 南大阪教会設立、大阪教会から54名が転籍し参加した。この時、阪田素夫と共に吉田長祥も南大阪教会に移った。

熱心なクリスチャンであった吉田氏ですが

③阪田寛夫の小説「花陵」によれば

8p 私の妻はこのあね(*兄嫁)の実の妹であって、彼女たちの父は、-十年前に死んでいるから直接聞くわけにいかないが、遺品の聖書や讃美歌を見ると、例えば「主イエス」という慣用句の「主」の字をすべて丹念に消してしまっている。この人は米英との戦争が始まるころまで教会に通っていた。以後は皇道主義の新興宗団に移ったが、聖書は時々ひもといていたらしい

100p   義父は幼児の頃から宮川経輝牧師の教会に通い、大正時代の終わりに独力でキリスト教の日曜学校を始めた人だ、のち、私の父と同じ南大阪教会で日曜学校長をしていたが、戦争中に牧師と意見が合わず教会をやめた。そして神道儒教仏教とキリスト教を習合したような新興宗教の職業的な講師になった。  

とあります。同じ阪田寛夫の「背教」という小説のモデルであるとあり、戦時中に教会から離れられた人物であることがわかりました。(現在、これらの小説は絶版になっています)

松本雅太郎文書・大阪教会所蔵資料目録・阪田寛夫「花陵」

ネットで見た古い興信録によると、吉田長祥は1888年生、硫黃及ビートパルプ問屋、富士絹及ワイシヤツ製造業、「大正七年 家督相續と共に襲名して前名 厚を改む 硫黃商を營み 商學士たり」とあり、天王寺にお住まいだったの実業家だったようです。

時代の中で、真剣に生きた一人の方が浮かび上がってきました。

中之島風景 小出楢重 1925

毎週日曜日、大阪教会の聖堂で礼拝を守る時、多くの先人たちが祈った場であることを思い、戦争中の信仰者の苦悩を、忘れることはできません。 


2025/12/03

大阪教会のクリスマス・イブ礼拝にどうぞ

今年のクリスマス・イブ12月24日は水曜日です。
大阪教会では夕方17:00からと19:00の2回、イブ礼拝がささげられます。

いずれの回も定員200名で
参加申し込みが必要です。
下のチラシのグーグルフォームからお申し込みください。

私は午後5時からの会に出席するつもり、申し込みを済ませました。
一人でも多くの方とご一緒に主のご降誕を祝い、感謝の礼拝を迎えられますように。

急に寒くなってきました、万全の体調で迎えたいです。 

2025/11/29

明日からアドヴェント

 明日から待降節、クリスマスリースを玄関前に飾りました。

今年はクリスマスローズの緑と薔薇の実と西洋柊の赤い実を加えてみました。


2025/11/22

箕面のもみじ2025

 2025/11/21

          

2025/11/16

皇帝ダリア

 今年は暑さに風に耐え二本の皇帝ダリアが花をつけ、咲き誇っています。

青空がとっても似合う花です。

 



2025/10/27

へちまたわしができました

今年はヘチマが豊作、10月の終わりになってもまだ青くて蔓についているのもありますが


最後まで残っていたのを、まだ青いのも、今日全部収穫

へちま作り 青いのはゆでて皮むき、半分に切り洗い桶に入れ火にかける


沸騰するまで煮て、冷めるまで待つ

皮をむき、種をとり
 
干しました。
             

茶色くなるまでからからに乾いたのはそのまま皮をむき種を取るとたわしで使えます

たくさんの種は、来シーズン用に小袋に入れて分けました。

11月の家事家計講習会のお客様にも差し上げるつもり

一人でも多くの方に自然な恵みを用いてほしい、ささやかなプラスチックフリー

2025/09/11

教会の塔にのぼって

久しぶりに大阪教会の塔の屋上に登る機会がありました。

南側には高層マンションが建ちすっかり周りを囲まれてしまいました。


教会正面南側にマンションが建ち視界をすっかり狭めました

2018年の台風で被害を受けた換気塔の屋根を見て、修復された銅板部分がまだ緑青の色は出ないで黒ずんだままなのがちょっと気がかりでした。薄緑色に覆われるのには時間がかかるものなのでしょうか。

https://issyamoyori.blogspot.com/2018/11/blog-post_13.html


西庭を望む

東北に隣接する地の銀杏の木は変わらず大きく葉を茂らせていました

北側

南東側


教会の歴史資料室の資料整理をここ数年関わらせていただいて
今日は塔の中にも残っている資料を確認するために、
歴史資料委員会のメンバーと一緒に塔の中に入ったのです。
まだまだたくさん未整理資料があることを確認しましたが
あらためて教会の歴史をおもう時でした。

「大阪講壇」 明治33年発刊 昭和3年 318号まで

歴史資料室には明治期からの教会の大切な資料が保存されています。
日本のキリスト教会史、また大阪の文化を知るうえで大切な資料です。
どのように保存活用するか、大きな差し迫った課題です。