2020/08/17

大阪教会のバラ窓

日本基督教団大阪教会の前、3月まで結婚式場があった跡地、今すっかり更地になっています。どんな建物ができるのか、まだ知らされていません。
マンションが建設される公算が強いそうです。
大阪教会のバラ窓から入る日の光が、守られるようにと強く願っています。
聖日の礼拝時、聖堂に差し込むひかり。
ヴォーリズの設計の大切なポイントだと思います。
献堂から間もなく100年、どんなに多くの人の心を慰めてきたことでしょう。


7月12日塔屋から撮影
追記
8月2日、聖堂での礼拝に出席しました。朝、工事の囲いも取り払われ更地が広がっていました。

追記 8月16日(日)聖堂での礼拝でした。
更地に計画の公告が掲げられていました。34階建て共用住宅、100mを超える高さです。2024年3月竣工予定とあります。
神さま、もうすぐ献堂100年を迎える聖堂をお守りください。


2020/07/10

友の会にて

「友の会にて」  豊中友の会2020年度 第2号(2020.7.10発行)巻頭 覚書

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため友の家で例会に準じるような集まりを持たないと決めて3か月が経ちました。緊急事態宣言が解除され、学校が再開され徐々に規制が緩やかになってきたようです。委員会では、今後の集まりのために「感染防止チェックリスト」を作成し、最寄会、方面会、例会や講習会を開くときの事前の準備、当日の注意事項などの目安として、皆さんにお示ししました。6月も下旬になってから実際に集まって最寄会、方面係会、方面会が開かれ、顔をあわせて話すことができてよかったという報告がたくさん聞かれました。友の家の使用にあたって人数制限がありますし、消毒・換気のほか、なるべく短時間に対面で話すことは避けてなど制約はあります。これからかなりの期間「ウイズコロナの時代」の中での集まりが続きます。皆の協力が何より必要です。

 オンラインの会議が続きました。話している自分の表情が眼の前の画面にあるということが、不思議でした。今まで自分がしゃべっている顔つきまで見たことがありませんのに。自分で思っている以上に自分は高齢者なのだと自覚しました。私にはできないと、ずっと考えてもみなかった総リーダーの立場に今年は置かれました。友の家に週に何度も行くことがあるだろうと覚悟をしていましたが、この3か月で2回のみ。ずっと自宅で80代の夫と二人、年金生活の静かな暮らしでした。時間と、インターネット環境が、幸い与えられて、委員会、全体委員会メンバーとは密な報告・連絡をとりあい相談ができ、ほぼ週刊でニュースレターを発信することができました。会報2号はこの特別な時期の活動の記録です。

 委員会は著作集「友への手紙」を最初から通読しています。6月30日、始めて友の家で開く第6回委員会読書はちょうど「友の会にて」でした。

 「協力ということはつまり相互いに、ほんとうの意味で他人を利用し、ほんとうの意味で他人の徳を樹つることです。それはむつかしいことですけれど、友の会ならそれができると思います」。「人間はただ一生懸命相当の年月にわたってよいことをしていればよいのです」。「それゆえに忍耐ということは人間の一事業であり同時に神の仕事です」。「繁簡宜しきを得た、その時々の正しい報告は必要なものです。…みずから進んで誠意をもってする報告は人と人との了解と信頼と、仕事をよいものにする基になります」。

 7月からまた新しい段階を迎えます。2学期からのことが具体的に課題になってきました。例会、近畿部会、家事家計講習会、友愛セール、今まで通りというわけにはいかないでしょう。先輩たちが培ってきた友の会への信頼を大切に、新しい形を見出せますように。                         2020.6.29記

ヘチマの実がつきだしました。
ささやかなプラスチック減量のために

2020/05/30

明日はもうペンテコステ

 明日はペンテコステ、5月最終の日曜日になります。3月第1聖日3月1日から数えて14週になります。新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために、大阪教会が聖堂で礼拝を行うことをやめて丸3か月です。
 その間、毎週教会からは礼拝式次第と説教原稿、聖務日課なども送られてきて、各自の居所で分散して礼拝を守っています。み言葉は毎週確実に届けられ、その時聖堂で礼拝をささげる牧師と心合わせて過ごしてきました。音声のみですがライブ配信も整えられてきました。
 毎週朝から、時に夕方遅くまで教会で過ごした日々が遠くになりました。歳をとってくると…、からだに自信がなくなってくると…、この礼拝の守り方はとても良い一面もあります。しかし、皆さんと一緒に礼拝を守りたい、パイプオルガンの奏楽と共に讃美歌を歌いたいという思いは強くなるばかりです。
大阪教会Twitter画面からコピー 5/30
このような時にも神さまは、新しい人をまねいてくださっています。明日のペンテコステの礼拝では3人の方が、罪の赦しの洗礼を受けられます。さらにお二人が転入されるとのこと。すべて時宜にかなって神さまがなさってくださること、今の時を、私も心して、聖霊の導きのうちに過ごさせていただきたいと思います。

***
 一方、豊中友の会も1学期間、友の家で大勢が集まる例会のような集まりは中止を決めました。思いがけなく今年度総リーダーという重い役割を与えられましたが、外出自粛のため4月、5月は一度も友の家に行かないで過ごしてしまいました。友の家の近くの会員が見回りをよくしてくださっていて、友の家は無事守られています。
 例会も、7月予定だった友愛セールも開けず、講習会もすべて今は休止ですが、委員会や係会は、オンラインで行われていますし、LINEのグループがいくつもできて会員間の交わりは活発です。豊中友の会HPにその成果の一部がupされています。
 Social distance という言葉がすっかり定着してきましたが、その向こうに「愛」が必ずあると信じてこの時、これからも仲間たちと歩みたいと思っています。
防犯カメラが設置されました。
友の家の掲示板、全国大会標語が掲げられました。4/11

2020/05/08

久々の更新 5月の庭

我が家の庭も5月はバラの季節 
 アンネの薔薇が咲きました。


ブルーフォアユーは今年も見事です。


暖地さくらんぼが色づきました。すると朝から椋鳥がやってきます。きゅるきゅる、此処に美味しい実があるぞと、仲間を呼んでいます。
採られてならじと、朝から二人で摘み始めました。
 これで2kgほど
 種を取って1.4kgかな。
55%の砂糖とレモン汁、梅酒も加えてジャムに。左側の鍋では瓶の消毒。
1日目の出来上がり。
収穫に1時間、種をとるのに1時間、ジャムにするのに1時間。2人の午前中の大仕事。
今年は5/4,5/5,5/7の3日、繰り返しました。
それでも残ったのは、もちろん椋鳥がきれいに食べてくれました。
***
昨年豊中友の会ではプラスチック問題に取り組みました。ある最寄ではヘチマを育てて、みんなで”へちまたわし”を作ったそうです。今年は私も、もらったヘチマの種、植木鉢でようやく双葉が出てきました。上手に育てて、ヘチマたわしを作ってみるつもりです。ささやかなプラスチック削減の試みです。
今日とどいた「婦人之友6月号」には特集記事がありました。


  

2019/09/24

愛知用水見学会に参加しました 一日目

主人の大学時代の同窓会の企画に加えていただいて、愛知用水、牧尾ダムから美浜まで、北から南まで見てきました。9月19日(木)-20日(金) 参加者は4名。

今年1月の同窓会新年会で「愛知用水を見たい」と口走ったのは「建築」の木村さん、その言葉を受けて「土木」の竹村さんが、三度の下見までして旅程を考え、各施設の説明のアポを取ってくださいました。竹村さんは、大学卒業後「くろよん」から始まった電源開発の土木技術専門家、インドネシアにも10年派遣されておられたとのこと。
同窓会メンバー30名にメールで案内が配信され、それに喜々として応じたのは「建築」の大井、主人です、私も便乗させてもらいました。
卒業60周年の記念の年、82歳になって泊りがけの旅行に躊躇を覚える方が増えてきたようです。というわけで、阪大構築34年会の「愛知用水見学会」は4人で、交通機関はJRと名古屋地下鉄、名鉄、そしてタクシー利用、宿泊は名古屋ガーデンパレスでした。

私が愛知用水と聞くと、思いだすのは中京教会におられた山田正義さんの言葉です。
名古屋市の土木局に長く勤められていました。名古屋に転居して中京教会で家族みなで教会に通っていました。祈祷会にも時折出席して山田さんとご一緒に祈る時がありました。「伝道」を一生懸命考えておられました。そしてわれわれにも「久野庄太郎」さんのような熱意が必要だとよく聞かされました。
1947年、水不足で苦しむ知多半島に木曽川の水をひこうと考えた久野庄太郎さんは、農学校の濱島先生と共に地元の人を説得し、用水をつくる運動を開始しました。濱島先生が測量して作った木曽川から知多半島までの100km以上になる計画図をもとに、時の総理大臣吉田茂にも陳情、国家プロジェクトとして決定され、1957年愛知用水の水源として牧尾ダムの建設が始まりました。世界銀行の融資を受け、アメリカの土木技術者の協力、大型機械によって昼夜兼行の工事で4年で完成しました。ロックフィルダムです。
愛知用水の詳しいことはこちらをご覧ください
 愛知用水とは 水資源機構愛知用水総合管理所ホームページ

9月19日10:25 特急「しなの」で木曽福島着、ここで4名が合流。
木曽福島からタクシーで牧尾ダムへ。管理所の所長さんから説明を受けました。
水資源機構 牧尾管理所




 

待ってもらっていたタクシーで木曽福島に戻り
12:30木曽福島 特急しなのに乗車、多治見から太多線で可児まで。14:20
タクシーで兼山ダムまで。
(兼山は森蘭丸の生誕地、来年の大河ドラマの舞台だそうです)


JR可児駅

上流管理所(兼山取水口)
 ここでも所長さんに丁寧に案内していただきました。


毎秒15トンの流れ、ここから知多半島の美浜まで13時間

関電兼山ダムから愛知用水は取水しています。取水調節ゲート

完工記念碑
「この木曽の水は百年の夢をうつつに愛知用水として
濃尾の野をうるほす ゆくてに幸多かれ 福沢桃介著
車で5分ほどのところ、ダム湖からトンネルを抜け、開口している水路を見学


可児から多治見、中央線で千種、地下鉄で栄、ホテルに到着。午後6時半ごろ。
夕食は錦三丁目の居酒屋さんで。
ゆっくり飲んで語らいました。
それぞれ現在の生活で大切にしていることは?
①家事 ②社会貢献 ③自己研鑽 と 老いても優等生の答でした。

一日目はここまで

愛知用水見学会に参加しました。二日目

構築34年同窓会の愛知用水見学会2日目です。
名古屋ガーデンパレスの朝食は7時から、私たちが食堂に降りてみると竹村さんも、朝に弱いという木村さんも既にテーブルについておられました。7時半過ぎにはチェックアウトをして出発。今日は地下鉄で愛知池に行き、名古屋駅に戻って名鉄で知多半島に向かいます。(あいにく河和あたりで女子ゴルフの大会があり、かの”渋野”が来るというのでタクシーが出払ってしまうという情報あり、午後1時半に予約したタクシーをどうしても逃すわけにいかないのでした)

名古屋地下鉄「栄」から名鉄豊田新線の「米野木」まで、愛知池の見学です。
私たちは名東区に住んでいましたから馴染みの地名ですが街並みは変わり駅前にも高層のマンションが増えていました。
タクシーで愛知池総合管理所まで。早く着いたので先に池を眺めました。

米野木駅

愛知池



愛知用水総合管理所

私たち4人のために設備課課長さんから愛知用水の歴史から工事のこと、流域にもたらした大きな恵み、2期工事のことなど、プロジェクターで丁寧に説明していただきました。
(小・中学生時代を名古屋で過ごした我が家の息子たちも、きっとこの場で現地学習をしたと思います)



愛知用水流域図が掛けられています

愛知池堰堤
大急ぎで名古屋駅に戻り、名鉄知多線で河和へ、1時半丁度に河和につきました。
お昼は駅のコンビニのおにぎりを買いこんで、一般車両で特急券のいらない特急の中で。

河和駅から待ってくれていたタクシーで美浜調整池に


美浜調整池全景 愛知用水からの水は池の真ん中あたりにパイプラインから取り入れています


ポンプ場 美浜調整池からの水をポンプで山向こうの農業用水に送るため



 
パイプラインの先にどんな景色が広がるか、見に行きたかったのだけれど…
知多の山並みのなか上の方をぬって流れていきます。トンネルがあったりパイプラインになったり開口していたり。広目水路。

愛知用水は牧尾ダム、上流(兼山)、中流(愛知池)=総合管理所、下流管理所(前山池)
に事務所を置いています。
最後に前山池を訪ねました。









これは農業用水に用いられる水路、毎秒6トンぐらいとか。流量は絶えず調節されている。

佐布里池 水を抜いて工事中でした。

名鉄 朝倉駅までタクシーで知多半島を北上しました

ホームでタクシー代などの清算、2日間で4万円余でした。4人で折半。
それぞれのタクシーの運転手さん、お世話になりました。
ツアーコンダクターとして最高だった竹村さん、ありがとうございました。

名古屋駅周辺は輝いていました
愛知用水が完工したのが1961年、以来知多半島の農業はうるおい、工場が進出し、人口が増えました。わずか60年足らずの間、高度成長の時代の中部地方の基礎のインフラとなっています。農業用水、水道用水、工業用水として一年中休みなく水量の調節をして必要なだけを絶え間なく送水するために、多くの工夫とご苦労があることをしりました。
木曽川の水の旅、お聞きした技術的なことは私には伝える力がありません。ただ、水不足に苦しむ農民を救うために木曽川の水を知多へと、大きな幻を抱いて行動を開始した、久野庄太郎さんのような方がいたことを忘れないでいたいと思います。