2025/12/18

 

家庭の婦人は果たして多忙なりや 感想 2025/12/18方面会

 

最近私の楽しみはポッドキャストで、主に歴史を取り扱った番組を聞くことです。

その一つにコテンラジオというのがあって、現在Genderに関して歴史的社会的に深く掘り下げたまとめ計20時間に及ぶ音源を公開しています。

先進各国の中で女性の管理職比率が極端に低い日本の社会の現状をさぐり、一人ひとりの能力がもっと生かされる社会、人権をもっと大事に考える社会になるのにどこに問題があるかを考えるのがテーマで、世間の多くの人がGenderを正しくメタ認知したならば現状を大きく変える力になるに違いないとコテンという会社は主張しています。

聞いてみて、一番はっきり分かったのはGender社会的性差が生まれる要因はその時代の生産体制、働き方にあり、男と女という生物学的な性差、子どもを産む能力や体格や筋力の差によるものではないということです。日本で男が外で働き女が家庭を守るといった役割規範が確固となったのは、明治以降戦争が続き、工業化が進み、また昭和になってホワイトカラーが多く必要とされ、より多くの男が家庭を離れ職場に通うようになって、女は家庭を守り子を育てなければならないという通念が社会の安定をもたらしたからです。この規範が日本の伝統的な価値観だから守らなければならないという人が相変わらず多いのですが、決してそうではなく、生産体制、社会の働きかたによって規範はどんどん変わってきたのです。コロナ以降在宅ワークが増えましたし、AIは産業構造を変えていくので、女性はケア労働などの分野でますます必要とされるはずです。女は家にと入っていられなくなるでしょう。ところが特に高齢化社会の日本では、規範の世代交代は進まないので現実とズレが生じるというのが問題だというのです。

 友の会が最も人数の多かった1970年代は専業主婦が多かったですが、その後所得格差が広がり子育てと家庭を維持するのに夫婦二人で働くのが当たり前になってきました。ところが規範に縛られて女性は非正規労働が多いままです。管理職コースから最初から外れてしまっているのです。これではいつまでも若い人たちの働く意欲をそぎ、家庭を持てず社会的に大きな損失です。男も女も一人ひとりが、伸び伸びと働き、家庭生活も充実した社会が当たり前になってほしいのです。

今日の箇所は明治41年に書かれた文章ですが
263pに「思うに私ども婦人の頭には、時間という考えが最も重要なものとして、深くしみ込んでいないために・・・」とか「時間を重んずる西洋人は、・・・」とありますが、他と比較して断言し、思い込みを助長することはやめてほしいと思いました。

男も女も励んで中流の家庭をもう少し堅固な土台のうえにおくために工夫すること、それが社会をもっと強く健全なものにすると考えられ、次世代への教育が挙げられていますが、友の会の生活基礎講習はそれを形にし続けてきたものだと思いました。

私たちは今も著作集を読み続けていますが、羽仁もと子の思想の時代の限界もわきまえたいと思います。この箇所も婦人の時間の使い方と固定することなく家庭人、誰にでも当てはめて考えるべきだろうと思いました。

2025/12/08

「長祥君の肖像」についてのメモ書き

 11月、教会のスモールグループ「江戸堀MARY]の仲間と大阪中之島美術館で開催していた「小出楢重-新しき油絵展」を鑑賞しました。

出品されていた「長祥君の肖像」についてのメモ

①産経新聞記事2025/11/7 から一部引用

画家・小出楢重の回顧展 油絵で追求し続けた日本女性の美 大阪中之島美術館で開催

 本展のもう一つの見どころは、展覧会開幕直前に発見された「長祥君の肖像」の油彩画だ。楢重の中学時代の同窓生である吉田長祥氏を描いた作品で、その裏には「年三十に達し将に天下を掌握せん 作者は親友 小出楢重氏」と記されている。当時、文展に連続して落選し、落ち込んでいた楢重を勇気づけようとする友情を感じる。作品は吉田氏の娘婿である作詞家の阪田寛夫氏の子孫に受け継がれていた。絵の左隅には裂けた跡がある。昭和20年の大阪大空襲の焼夷(しょうい)弾の破片が貫いた跡だという。

長祥君の肖像 小出楢重 1918

阪田寛夫は、大阪教会で長年執事を務めた阪田素夫の息子ですから、この吉田長祥という方は大阪教会会員だった方ではと、すこし調べてみました。

②大阪教会出版物「松本雅太郎文書」から

・1917年6月5日発表された会堂建築委員30名のうちに阪田素夫らと共に 吉田厚 の名があり

・1922年(大正11年)新会堂の献堂の報告書中、 建築事業関係者のうち常務委員に吉田長祥の名があり、ヴォーリズ建築の現会堂の建築に大きく関わっていたことがわかります。

・1923年(大正12年)日本組合基督教会第39回総会の項 社会事業委員会 吉田長祥氏寄付申し出の養老事業寄付金並びに寄宿舎受納の件につき協議した。

・1926年 南大阪教会設立、大阪教会から54名が転籍し参加した。この時、阪田素夫と共に吉田長祥も南大阪教会に移った。

熱心なクリスチャンであった吉田氏ですが

③阪田寛夫の小説「花陵」によれば

8p 私の妻はこのあね(*兄嫁)の実の妹であって、彼女たちの父は、-十年前に死んでいるから直接聞くわけにいかないが、遺品の聖書や讃美歌を見ると、例えば「主イエス」という慣用句の「主」の字をすべて丹念に消してしまっている。この人は米英との戦争が始まるころまで教会に通っていた。以後は皇道主義の新興宗団に移ったが、聖書は時々ひもといていたらしい

100p   義父は幼児の頃から宮川経輝牧師の教会に通い、大正時代の終わりに独力でキリスト教の日曜学校を始めた人だ、のち、私の父と同じ南大阪教会で日曜学校長をしていたが、戦争中に牧師と意見が合わず教会をやめた。そして神道儒教仏教とキリスト教を習合したような新興宗教の職業的な講師になった。  

とあります。同じ阪田寛夫の「背教」という小説のモデルであるとあり、戦時中に教会から離れられた人物であることがわかりました。(現在、これらの小説は絶版になっています)

松本雅太郎文書・大阪教会所蔵資料目録・阪田寛夫「花陵」

ネットで見た古い興信録によると、吉田長祥は1888年生、硫黃及ビートパルプ問屋、富士絹及ワイシヤツ製造業、「大正七年 家督相續と共に襲名して前名 厚を改む 硫黃商を營み 商學士たり」とあり、天王寺にお住まいだったの実業家だったようです。

時代の中で、真剣に生きた一人の方が浮かび上がってきました。

中之島風景 小出楢重 1925

毎週日曜日、大阪教会の聖堂で礼拝を守る時、多くの先人たちが祈った場であることを思い、戦争中の信仰者の苦悩を、忘れることはできません。 


2025/12/03

大阪教会のクリスマス・イブ礼拝にどうぞ

今年のクリスマス・イブ12月24日は水曜日です。
大阪教会では夕方17:00からと19:00の2回、イブ礼拝がささげられます。

いずれの回も定員200名で
参加申し込みが必要です。
下のチラシのグーグルフォームからお申し込みください。

私は午後5時からの会に出席するつもり、申し込みを済ませました。
一人でも多くの方とご一緒に主のご降誕を祝い、感謝の礼拝を迎えられますように。

急に寒くなってきました、万全の体調で迎えたいです。